この全然違う数字は適当な推測にかけ算をしただけ。

LNTでは集団線量を計算して、それに死亡確率をかけると、死者数がでるという話でした。ところが、個々人の外部被曝を実測するにはモニタがいる。モニタを付けていた人は、リクビダートル、もしくはリキデーター、つまりチェルノブイリを掃除していた人たちだけ。残りの人となると、外部被曝は、推定するしかない。内部被爆は、もっと困る。半減期の長いγ線を出す核種ならホールボディカウンタで測る事はできるが、α崩壊やβ崩壊だけの核種だと、体外にでてきた糞便、小便や、血液から測定するなど、大変な作業になる。それを上記の最小のカテゴリの60万人でするだけでも、不可能に近い。短半減期ヨウ素131など、排泄されたり、崩壊してしまっていればもうどうしようもない。全世界などはなから無理な話。こういう理由で、被爆線量は推測するしかない。

では、どうやって推測するのか。

核種を限定して、ヨウ素131とセシウム134と137、これの降下を調べて、その降下から、外部被爆と内部被爆を推定することになる。ところが、非常に広域の汚染がある場合、核種の降下を調べるだけでも、何年もかかる。となると、ヨウ素131はとうになくなっているので、半減期2年のセシウム134は無視して、半減期30年のセシウム137を調べて、後は適当に推測、ということになる。だんだんいいかげんな話になってくるが、全く何もないよりはまし。

降下物から被曝を推測する。

この降下物からの外部被曝は、地面の放射性物質の量から空間線量に変換する線量係数を調べると分かる。ただし、この線量係数も、地中への浸透によって5倍くらいの開きがあるのは述べた通り。文科省の文章を読んだ人は、家に入るといくら、校庭ではいくら、という防御による推定を加えて、ゴチャゴチャ計算しようと思えばできるのはご存知だと思う。こういうことを重ねると、どんどん現実の被曝量からはなれて、紙の上に数字を書いているだけのことになる。さらに、内部被曝になると、牛乳からこれだけ、野菜からこれだけ、と想定して、体内にこれだけとどまるとまた想定をした上で半減期も考慮に入れた線量当量係数をかけて決める。実はこの線量当量係数自体も問題があるが、問題を挙げていくと切りがないので、それは止めます。これを合計すると被曝総量が決まる。まとめると、

平均推測総被曝 = 外部被曝 + 内部被曝
平均推測外部被曝 = 単位面積あたりの降下物の崩壊数(Ci/km2とかBq/m2)
  x 線量係数
  (ここで、地面にある放射性物質から出てくる放射線の強さを計算する)
  x 家の中にいるとか防護されていることによる係数 
  (これでその放射線のうち何割を受けたか計算する)

平均推測内部被曝 = 単位面積あたりの降下物の崩壊数(Ci/km2とかBq/m2)
  x これだけ摂取するだろうという想定上の係数 
  x 線量当量係数

ここで、LNTでは、被曝線量が足し算できることを思い出すと、

総集団被曝 = Σ平均推測総被曝 x その地区の人口 
  = (A地区での総被曝 x A地区での人口) + (B地区での総被曝 x B地区での人口)…

つまり、ある地区での総被曝を想定して、そこの人口をかける、それを地区ごとで足したら、総集団被曝になる。ここで、LNTでは、癌の死亡確率は線量にのみ比例するから、

総死亡数 = 死亡確率 x 総集団被曝

これで、めでたく総死亡数がでることになる。

問題は、これが検証できないこと。

外部被曝はまだ検証可能で、モニターすれば推測があっているかどうか分かるが、内部被曝は適当もいいところ。さらに、放射線被曝が低ければ低い程、疫学的に有意の差で癌の死者が出ている事を示せない。おまけに、チェルノブイリでは原発事故で地域社会が崩壊しただけでなく、ソビエトそのものが89年に崩壊し、旧ソビエトの諸国でチェルノブイリに汚染されていない国まで軒並み平均寿命が10年下がっているという、社会全体が崩壊寸前の大変動が起きたため、少々のことでは大した事ない差になってしまう。そもそも、癌の最大の危険因子は加齢だから、年寄りがどんどん死ぬ社会では癌などどうでもよくなる。全世界での死者となれば、少々の『被曝による死亡者数』なら、もともと様々な理由で膨大な人が死んでいるなかで、被曝によって増えたのかどうかの検証は事実上不可能。

この検証できない死亡者数は、科学ではない。

科学哲学者のカール=ポパーは、科学は反証可能性のある命題をだすことだ、と言っています。反証できないものは、宗教とか、信念とか、別にあってもよいものですが、とりあえず科学ではない。ロシアでの60万人くらいの数字なら統計をとって反証できる可能性はありますが、全世界の予測など、全世界の死者が大規模に変動するような極端な予測でない限り、統計を使った反証はできません。それだと、これは科学というより、宗教や、信念というべきもの。LNTの話のところでも書きましたが、低線量被曝の所で際限なく人口を増やせば、簡単に予測死亡者を増やせる。逆に言えば、そのような膨大な数の予測死亡者をぶちあげるような予測は必ず、『低線量被曝x巨大な人口』という方法を使っている。つまり、

『低線量被曝x巨大な人口』の手法の『予測』で分かるのは、『死亡者数』を増やしたいという政治的もくろみだけ
です。前のLNTの話の所でも書きましたが、本当の目的は、死亡者数をたてにとって、資源配分や政策を変更することにあります。あとは、かけ算がよくできました、よかったね、それだけのことです。

ちなみに、今回のECRRが出しているような、福島の原発事故で10年で10万人がガンで余分に死亡するという極端な予測は、10年以内に明らかに反証できるでしょう。書いている事は無茶苦茶ですが、ECRRの場合でも基本的な考え方は、上に示した通りのものです。ECRRの予測の場合は、彼等の信念と、計算のできないことが分かる、それだけのことです。ECRRの場合は、Tondell, 2004という論文に基づいて計算しているのですが、それについては、また後日書きます。

科学は正しいか正しくないか分からない所を、確かめながら、これでどうか、と考える作業。

放射線防護と少し離れますが、私の持論を書きます。世間の人が科学と言っていることは、何か難しいことだけれど、正しいと分かっている(筈の)こと、という意味です。少し前のマルクス主義者の人たちが言っていた、『科学的社会主義』の、『科学』はそういう意味です。しかし、科学が実際に行われているところでは、正しいか、正しくないか分からないところばかり。分かってしまったことなんて科学ではどうでも良いことなんです。常に情報は不足していて、あれじゃないか、これじゃないか考えるのが科学の実際です。世の中に出ている論文なんて半分くらい間違っています。何年か経つと間違った論文は誰も引用しなくなって捨てられていく、それだけのことです。

マイケル=クライトンは著書のState Of Fearで、『科学的真理』から引き出された『社会的倫理』を批判している。

State of Fear

State of Fear

私が好きなマイケル=クライトンの本のなかにState of Fearというエコテロリズムの話があります。その本自体は、地球温暖化(=この場合の科学的真理)だから脱炭素社会をめざすべき(=この場合の社会的倫理)という話の欺瞞性を手厳しく批判しています。クライトンは、オリジナルの論文を読むと、そんな結論にはならない、と主張しています。本編は娯楽ものとしても面白い。ただあの本で白眉なのは、『ユダヤ人は劣等人種』というのが、『科学』であったという本編じゃない部分です。ヒトラーが世に出る少し前は、アメリカでもドイツでも、社会ダーウィン主義=Social Darwinismがさかんで、人種的優生学が公然と大学でも講義されていたし、大真面目に『劣等人種』の頭蓋骨を測ったりしていました。アメリカで優生学がすたれたのは、ヒトラーと政治的に対立してからのことです。ヒトラーに勝ったアメリカでは、『人種的優生学ヒトラー=悪』ということになって、そんなアメリカでの歴史は何もなかったのように忘れられています。

科学と倫理は関係ない。『いわゆる科学的真理』と『いわゆる社会的倫理』が結びつくと問答無用のファッショな社会になる。

科学の方法の内部には倫理はありますが、社会的な意味での倫理は全く別問題で、科学そのもので社会倫理を規定する事はできません。例えば、今回でも、『ドイツ政府の研究では原発近傍5キロで小児白血病は2倍になる』話は、何度も出てきていますが、あれは、先日私の書いたHaatsch, 2008のことです。論文を読むと、決して原発放射能白血病が増えるなどと断言できるような代物ではない。そういうものを金科玉条たてにとって、社会的倫理を結合させるような人種は、芯からファッショな人種で、時代が時代なら『モンペをはかないと非国民』とか、『ユダヤ人は劣等人種』とか言っていた人たちです。後日また書くつもりですが、ECRRはそういう集団です。