旧ソ連で90年代は何がおこっていたのか。

今までの概観をみても、90年代初頭から始まって90年代にいろいろな急激な社会構造の変化がおきたことは間違いない。


65歳以上人口を見ると、80年代後半からロシア・ベラルーシウクライナでは老齢化が進み、カザフスタンは若年人口が多いものの、老齢化が進行していることが分かる。ここ数年は若干老齢化が遅れていることが分かる。もっともそれでもEUに比べると、まだ老齢化率は低い。



それに対応するように、14歳以下の若年人口は90年代初頭から減って少子化が進んでいることが分かる。少子化が速度を緩めたのはここ数年のこと。



人口一人当たりのGDPを見ると、EUに比べるとはるかに低いが、経済の低迷は1999年で底をうち、その後2000年代は上昇に転じています。ここで、ウクライナ(黄)のGDPの伸びが一番低いことに注目。意外とカザフスタン(緑)の成長が著しい。


また旧ソ連諸国では、70年代から都市化が進み、特にベラルーシ(赤)では、強烈な都市化が進行しています。
この様に全体的には老年化、少子化、都市化(特にベラルーシ)で進行しているのに加えて、1989年にソビエトが崩壊します。


インフレ率。カザフスタンを除き旧ソ連参加国は一時1000%を越える破壊的なインフレが進行しています。一番ひどいウクライナ(黄)では、一年で物価が35倍にもなるインフレを経験しています。この狂乱物価が落ち着いたのは、1996年頃。2000年代には安定しています。


失業率。完全雇用だったソビエト時代に比べて、曲がりなりにも雇用を確保したのは統制国家のベラルーシ(赤)だけで、残りは良くなってきてはいるものの、失業者を回収できていません。

まとめると、都市化、老年化を原因とした都市型、老年型の病気(癌・糖尿病)の増加を基調とし、ソビエト崩壊の破局的な経済の結果がでてきた90年代の失業、インフレと社会の流動化が怒濤のような変化(梅毒・未成年の出産・結核・自動車事故)をおこしたのであって、原子力災害はそれに付け加えられたものであることが分かります。ロシア・ベラルーシウクライナでおこった変化はほとんどそのままカザフスタンでも起きているので、主要な原因がソビエトの崩壊と社会の再構成によるものです。それでも、社会的な統制を維持したベラルーシにおいては、先進ではない技術で予防できる疾患(ポリオ・百日咳・麻疹)はほぼ完全に制御され、小児の健康状態は90年代は横ばいですが、2000年代ははるかに改善されています(5歳児以下死亡率)。

以上、エートス計画の始まった96年からみると、90年代の困難な時代を経て、現在では小児の健康状態は十分に改善されていて、フェルネックスがにおわせているように、小児の健康状態が悪化してそのまま、ということはありません。