データは統一的に収集できる枠組みをつくるべきであるが、『判断』は共有されなくてもよい。

全体の状況を判断するためにデータを共有することは意味がありますが、(帰還するか、移住するかなどの)個々の『判断』を共有する必要はありません。原理的に言えば、個人や家族単位で違ってもおかしくありません。その理由は、被曝するかしないかの判断(正当化)は、リスクの大きさを被曝の回避行動の負担で測っているからです。この負担の判断は個人的なものだから、線量だけでは決まりません。移住することで失うものが少ない人は、移住を選ぶだろうし、逆にどうしても住み続けたい人もいる。

ただし、現実的にインフラの支援がなく生活できる人は少ないので、集落単位で判断するのも一つのやり方だと思います。