全体の傾向として、ベラルーシの小児の保健状態は改善している。

ベラルーシでの5歳児以下の死亡率は、以前ツイした通りですが、あれは、WHOの各国概観に載っているまとめからとったものなので、もう少し詳しく見ます。



これを見ると分かりますが、全ての国で5歳児以下死亡率は低下傾向にあり、ベラルーシ(赤)は旧ソ連の中で優等生で、EU(紫)に並ぶほどだと分かります。1990年代は停滞していますが2000年代の低下が著しい。



新生児死亡率(一歳以下)でも同じことが言えます。



感染症による退院数の推移。
ベラルーシは昔のデータがありませんが、カザフスタンウクライナは、80年代から一貫して徐々に減ってきていることが分かります。


実は、癌の絶対数(年齢調整なし)は、全ての国で少しずつ上昇していて、旧ソ連の中ではベラルーシが一番高くなってきています。しかし、それでもEUより低い。これは、老齢化など社会構造の変化によるものが大きいわけですが、それは後で述べます。



もっとざっくりとした指標である平均余命をみると、旧ソ連の諸国はすべて90年代に悪化したことが分かります。特にロシア(青)は1986年の70歳が、1994年の64歳と、8年間で6年も短くなる惨憺たるありさまです。ベラルーシ(赤)はまだましな方ですが、それでも1988年から2000年にかけて、4年程下がっています。これらは、どの国も2000年代にゆっくり回復しています。チェルノブイリ事故で汚染されていないカザフスタン(緑)でも5年程低下していますから、平均余命の低下はソビエトの崩壊と一致します。この間、EU(紫)ではゆっくり平均余命は増えています。

以上、まとめると、エートス計画が始まった1996年から現在に至るまで、特に小児の健康状態は飛躍的に改善し、一時悪化した平均余命もゆっくり回復していることが分かります。

WHOのヨーロッパ支局のHFADBには、ヨーロッパの保健データが公開されている。

WHOのヨーロッパ支局の公開しているHFADBは、誰でも入手可能で、ヨーロッパ諸国の保健データを比較できます。WHOの分類では旧ソ連はヨーロッパに分類されるので、これを用いて、ベラルーシの保健状態がどう変化しているのかを調べました。WHOのデータを使った理由は、国際比較できる基準のものでないと、他国の傾向と比較できないからです。ここでは、比較対照として

を選びました。

ベラルーシのエートス計画は1996年から。

ここで簡単に復習しますが、ベラルーシでジャック・ロシャールさん、ジル・エリアール=ドブレイユさんたちがエートス計画を始めたのは1996年です(エートス1とエートス2、2001年まで)。その後、セイジ計画(2002−2005年)、コア計画(2004年ー2008年)が行われています。その後、コア計画の要旨は、ゾイア・トラフィムチェクさんの率いるベラルーシ緊急事態省管轄のBBRBIC(Belorussian Branch of Russia-Belarus Information Center=ベラルーシ・ロシア共同情報センターベラルーシ部局)に引き継がれています。

ゾイアさんの説明よるエートス・コアからBBRBICへの経過の図。
PDF http://www.jaif.or.jp/ja/news/2012/jaif_bbrbic-lic-report120531.pdf p21

フランスに住んでいるコリン・コバヤシが宣伝しているミッシェル・フェルネックスの動画がありますが、ここで、エートス計画が始まって以来ベラルーシの健康状態が悪化し、あたかもエートス計画で放射線防護を進めると子供の健康状態が悪化するという因果関係があるかのような主張をしています。

ミッシェル・フェルネックスというのは、退職したスイス人の医者で熱帯医学(マラリア)が専門です。その関係でWHOでも働いておりました。放射線被曝の影響は特に専門でもなく、放射線の被曝に関する論文を出している人ではありません(pubmedによる)。もちろん、エートス計画が始まった時には、WHOには勤めておりません。配偶者(故人、ソランジュ・フェルネックス Solange Fernex)はフランス緑の党を設立した人です。『チェルノブイリ・ベラルーシのこども』という基金の代表を一時つとめており、ネステレンコ(父・故人)のベルラド研究所に資金援助をしていました。

ちなみに、ミッシェル・フェルネックスは1929年生まれ、66歳の1995年で退職しているのでエートス計画の始まった1996年にはすでに退職した後です。

http://www.enfants-tchernobyl-belarus.org/doku.php

Depuis sa création le 27 avril 2001, à la demande du Professeur Vassili Nesterenko , l'association s'efforce :
→ D'apporter une aide financière à l'association BELRAD qui intervient auprès des enfants dans les régions de Belarus contaminées par les retombées radioactives de Tchernobyl

2001年4月27日に、ネステレンコ教授(ヴァシーリ・ネステレンコ 1934年12月2日-2008年8月25日)の要請で設立されてから、協会は以下の努力をしています。
チェルノブイリからの放射性降下物に汚染されたベラルーシの地域の子供達とともに仕事をしている組織ベルラドに財政的援助を与えること。

この動画を見ると、フェルネックスの言っていることの根拠は、会議で発表した女医さんの手書きの原稿であることが分かります。その原稿自体公表されていないし、その他の根拠があるわけではありません。しかも、フェルネックスは2002年2月22日以来、同じ話を繰り返している(翻訳はコリン・コバヤシ)ので、その話が正しいのかはもとより、その後の10年でどうなっているのかはさっぱり分かりません。

それ以前にフェルネックスはエートス計画と健康状態の因果関係の根拠は何も示していません。フェルネックス本人はエートス計画で食料の汚染が減っていることを認めているわけだから、(『この農作物はセシウムは少ないので、販売することもできた。』)もし、汚染が減っても、健康状態が悪化するということであれば、被曝と健康状態は関係のないことになる。

この文章では、因果関係については触れず、ベラルーシ全体の健康状態がどうなったのかをみて、エートス計画が始まってから現在までに、小児の健康状態が飛躍的に改善されていることを示します。エートス計画の『おかげで』健康状態が改善されたということは示しませんが、エートス計画で小児の健康状態が10倍悪化したとは言えないし、そもそも、この15年で小児の健康状態が悪化していなければ、フェルネックスの言うことは最初から現在のベラルーシと関係のないことになります。

現存被曝状況への移行は一律にはおこるとは限らない。

汚染地域が広い場合、現存被曝状況へ同時に移行しない可能性がある。現状では、警戒区域は現存被曝状況とは言えない。放射能が減衰していくにつれ、汚染の程度によって、また該当区域の政治的、経済的状況によって、順次現存被曝状況へ変更されていくことになる。

現存被曝状況への移行は当局が決定する。

まず最初に、住む許可を出すのが最初の決定で、これは本文3.1の『正当化』のこと。当局が現存被曝状況への移行を決定する理由は、この決定をするということは、現存被曝状況で、ちゃんとした生活手段があり、まともな生活ができることを、当局が保証するのが前提であるから。

ちなみに、この節をもって、『ICRPでは1mSv/年以上は原則移住』などという主張はできない。そもそも、そんなことはどこにも書いていない。

(9) 広大な地域に影響を与える重大事故の場合には、対策の管理として、それぞれの地理的場所によって、それぞれ違う状況に、同時に対応する必要があるかもしれない。従って、緊急被曝状況から現存被曝状況への移行は、汚染地域のなかでも、異なった時期におこる可能性がある。
(9) In the case of severe accidents affecting very large areas, the management of the response may need to deal simultaneously with actions relating to its different phases in different geographic areas. Thus, the transition from an emergency exposure situation to an existing exposure situation may occur at different times within the contaminated areas.

緊急被曝状況は中央集権的に管理、現存被曝状況は分散的に管理。

放射線防護の戦略は、緊急時には中央集権的に果断な処置が求められるが、ある程度被曝が下がり、長期的な問題になる時は、現実の生活の向上を主眼として、該当住民の直接参加を旨として分散的な防護戦略に移る。

勧告では、緊急被曝状況から現存被曝状況への移行は、当事者の合意と理解が伴うべきであるというが、正直にいって、今回の政府の緊急被曝状況から現存被曝状況の移行はなし崩しに行われている。もっと率直に言えば、緊急被曝状況や、現存被曝状況の防護戦略の違いなど、政府自身が理解していないのではないか。このような状況で、いかに当事者間の合意をとるのか、現実どうすればよいのか、私には良く分からない。

もっとも、今、人が住んでいる領域は現存被曝状況だから、政府の理解がどうであろうと、現存被曝状況の対策を進めれば良いと思う。政府が住んで良いと言った時点で、これは現存被曝状況であることを認めたことになるから、政府には領域内での個人の放射線防護を支援する義務があると同時に、まともな生活、収入手段を保証する義務が生じていることは知っておいた方がよい。

本当に大変なのは、飯舘村警戒区域で、現時点で人が住んでいないから、ここは緊急被曝状況から明示的に現存被曝状況へ変わる。現在、飯舘村警戒区域自治体が、政府と区分分けの交渉を行っているが、これは一応当事者の合意と言えなくもない。

(8) 人々が希望した場合に、汚染地域に住んで良いという許可を出す決定は、当局によりなされ、この決定が事故後の回復期の始まりを示す。この決定をするということは、個人に対して放射線による健康被害の可能性から防護することができることと、尊敬に値する生活様式と収入源を含めて、持続可能な生活状況を提供することを意味する。

(8) The decision to allow people to live in contaminated areas if they wish to do so is taken by the authorities, and this indicates the beginning of the post-accident rehabilitation phase. Implicit with this decision is the ability to provide individuals with protection against the potential health consequences of radiations, and the provision of sustainable living conditions, including respectable lifestyles and livelihoods.