過去の軍国主義の亡霊(いわゆる『軍靴の音が聞こえてくる』)

The trend is also in keeping with a larger conservative movement that has tried to reclaim prewar symbols and encourage the use of textbooks that play down Japan's militarist past. More broadly, a revision of the education law is regarded as a precursor to the more delicate task of changing the other legal document of the American occupation, the Peace Constitution, which was meant to keep Japan from repeating its past.

ここでは、
that play down Japan's militarist past
と、
which meant to keep Japan from repeating its past
の部分です。

前段は作る会の教科書のことですが、それが、『日本の軍国主義的過去の印象を薄めようとしている』のか、後段の『平和憲法』が『日本に過去(の過ち)を繰り返させないために(つもりで)』作ったのか。この二つともやはり検証しているわけではなく、決めうちしたノリミツ・オオニシの意見です。いってみれば、『傍論で違憲』という靖国訴訟の判決のような文章を延々と書き続けていることになります。

もちろん、作る会の教科書を『軍国主義復活のための』と批判する人たちが(中核派も含めて)いるのは知っています。が、教科書の一部を読んでみたところでは結構面白い。『軍国主義を称揚する教科書』というのはあたらないと思う。ただ、血縁を強調する前文など、私の趣味でないところもあります。ちなみに、作る会、何がどうなっているのかもはや分からない内紛状態です。(西尾幹二日録参照)

ノリミツ・オオニシにとっては、『日本の過去』=『軍国』であり、否定すべきものであって、日本の憲法アメリカが日本に課した『過去否定』のための言質なのです。だから、こう書くことによって、『日本の改憲アメリカに対する敵対である』というのを言外に匂わせて普通のアメリカ人の日本に対する反感を煽るわけです。ただ、それを率直には書かない。率直に書けば、『アメリカが政策として日本にそういう憲法を押し付けたのにそれを反故にしようとしている』となりますが、『憲法を自分で書くのは当然ではないのか』というアメリカ的な率直な反論が出てきてしまうので、主体をぼかして『which was meant to』と書くのです。ここがノリミツ・オオニシの神髄なわけです。

余談ですが、北朝鮮の『先軍政治』を日本語で言う時は正しく『軍国主義』と訳してほしい。