つけたし

『権力』に対して慎重で懐疑的な草加さんが、なぜか『大衆』(もしくは『大衆の考えとされていること』)に対しては根拠のない信頼を寄せるのはおかしいのではないか。


『世論とされていることの報道』と『世論の煽動』両方ともに記者クラブメディアは関わっているので、『大衆の考えとされていること』には非常に強い偏見が加わっています。しかも、あたかもメディアが無色透明であるかのように振る舞っていますが、本当は当事者であって、権力と一体化した振る舞いをしています。


政治家は結果責任をとるべきなので、小沢一郎のイメージ戦略に問題があるのはもちろんなのですが、記者クラブメディアが言うような理由での問題があるわけではない。個別に見てみると、西松建設の件、期ずれの件、いずれにしても、とるに足らない事件です。事件ですらない。私にとって事件なのは、国家の一部門(この場合は検察)が他の権力からの制限を受けることなしに、しかも税金を使って、何十万人の民意を受けた政治家を弾圧していることです。


日本で、かつて200万人の軍人と200万人の民間人を死に追いやった対米戦争の根本的な原因は、『統帥権の独立』にありました。旧憲法下で統帥権天皇に属し、その天皇が実質的に統帥権を使わない場合、陸軍と海軍はともに他の権力から制限を受けることなしに暴走します。それに比して、睦奥宗光の蹇々録を読むと、日清戦争時の軍隊は政治家(伊藤博文総理)の統制下にあったことが分かります。指揮権発動を行えない(行わない)現状は、検察の公訴権の独占が統帥権の独立と同じような事態を生んでいるのではないか。実際、最高検が犯罪を起こしている時は公訴する人がいなくなります。

今回の小沢一郎に対する特捜の捜査は、当然政治的捜査(国策捜査)であって、自民党政権時代に民主党へ政治的ダメージを与えるために始めたものです。大阪地検の村木局長の事件も、民主党の石井一議員をおとしめるための政治的事件です。ただ、政権交替を経た後にもこういう検察の動きが続いていることを考えると、この国策捜査震源は、自民党の政治家ではなくて、最高検そのものだと考えるのが妥当なのじゃないのだろうか。


そうすると、最終的な解決策は、別の捜査権限を持つ機関を国会などに作って、最高検をはじめ検察の権力をコントロールすることなのではないか。米国の場合は、地方検事は選挙で選ばれ、連邦検事は大統領が議会の承認を経て任命します。いずれも直接間接に民意の承認を得ることになっています。私は、民意を反映させるような、構造的な変更が必要だと思います。