憲法89条

憲法89条には、

第89条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

と書いてあります。そのまま読めば、

  1. 宗教組織や団体には税金投入はしない
  2. 『公の支配に属しない』慈善、教育、博愛に税金で支援してはならない。

ということになります。
それに関して、私が、

憲法89条にはこう)
とあります。憲法9条自衛隊よろしくほとんど無視されていますが、私学助成金も本当は憲法違反なんです。百歩譲って私学助成金は認めるとしても、外国人学校に公金をだす何の理由もない。

例えば米国でも外国人学校に税金など出しておりません。だから、日本人学校は高い。公立校なら外国人でもただです。米国で外国人教育に公金を出すのは、米国の政策にあう時だけで、例えば、図書館での無料の英語教室などには出します。日本語で教えている学校など米国の役にたたないので、公金など出しません。

と書いたところ、草加さんから

次に、高校無償化に反対する論拠に、憲法89条を持ち出してこられたのは、多少おもしろく感じました。私も法学部出身なので、89条の解釈において「私学助成金も本当は憲法違反」という極少数説があることは知っています。ただ、この解釈では、民間のボランティアやNGO、それのみならず、私立の介護・福祉施設などへの補助金や助成も違憲になってしまう可能性があり、妥当ではありません。

しかしそれは日常的な監督や、まして行政機関が運営するものにしか公金を使ってはいけないという趣旨ではなく、税務やその他の特別法において、運営状態(とりわけ会計)の監査や公開、審査という方法があれば、89条の「公の支配」の条件には足りると解します。

こういう極少数説を信奉するのは別に悪いことではないし、それはそれでいいのですが、それが特殊な考えてあることを隠して、いきなり「こうなのである」と自明の真理みたいに断言して終わらせてしまうのは、印象操作などというレベルを超えて、ほとんど嘘を書いているに等しいと思います。

という意見をいただきました。

こういう議論には三つの側面があります。

  • あるべき姿はどうなのか。
  • 憲法や法律の文面と現状の関係。
  • 現在の状況はどう作られてきたのか、政治的な側面。

これらはそれぞれ別のことです。

『あるべき姿』は、煎じ詰めるとイデオロギーの問題になるので、異なることもあるでしょう。ただ、『あるべき姿がこうだから、それに沿うように憲法はこう解釈すべきである』というのは、論理として違うのではないか。

具体例を挙げると、憲法9条2項、芦田条項ですが、

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

これに関して、日本では政府見解を徐々に変える形で、『国家に自衛権があるのは当然であるから(=あるべき姿)9条2項の戦力に自衛力は該当しない(=正当とされる解釈)』という立場をとっています。政府はそう述べるでしょうし、裁判所も追従すると思いますが、普通の日本語で見れば、これはおかしい。本当は改憲で解決すべきことだと私は思います。

憲法89条に関しての草加さんの意見では、『有用な民間団体(宗教、教育、慈善)に税金を投入するのは当然であるから(=あるべき姿)、89条は民間団体への税金投入を禁止していない(=正当とされる解釈)』という理屈です。仮にそのあるべき姿に同意したとしても、それならばこそ『89条は改正すべきである』という考えの方が正しいのではないだろうか。もともとの朝鮮学校の場合、私は全ての外国人学校への税金投入をあるべき姿でないと思っているので、前提が違うわけですが、それは別稿にします。

私学助成の要約は、Wikipediaがまとまっています。

学説はまず、憲法89条後段の趣旨について4説に分けられる。

* 自主性確保説:公金を支出すれば公権力の介入も招くことから、私人が行う教育等の事業の自主性を確保するため、公金支出を制限した。
* 公費濫用防止説:私人が行う教育等の事業の営利的傾向や公権力に対する依存を排し、公費の濫用を防止するため、公金支出を制限した。
* 中立性確保説:同条前段の趣旨である政教分離を補完することにある。私人が行う教育等の事業は、特定の宗教的信念に基づくことが多いため、宗教や特定の思想信条が、公金支出によって教育等の事業に浸透するのを防止する。
* 公費濫用防止と中立性確保の折衷説

次に、「公の支配」の解釈に関しては、厳格説と緩和説、中間説の3説がある。

* 厳格説:「公の支配」とは、公権力が事業の予算を定め、執行を監督し、人事に関与するなど、事業の根本的方向に重大な影響を及ぼすことのできる権限を有していることをいう。
* 緩和説:「公の支配」とは、国又は地方公共団体による一定程度の監督が及ぶことをいう。
* 中間説:「公の支配」の解釈にあたっては憲法の他の条項と総合的解釈を行う

草加さんの言っているのは、公費濫用防止説と緩和説のことです。政府見解や判例wikipediaに出ていますが、結局、私立学校振興助成法を作って『所管官庁の管轄に服しているから公の支配に属している』という形をとって、税金を支出する根拠にしています。その際にも、私学助成は団体を経由して直接には支援していません。
これは、慈善や博愛についても同じで、社会福祉法人を作って間接支援することで、この問題を迂回しています。

結局、憲法89条を巡る問題は、『公の支配』の濃淡があるなかで、どこで線を引くのかという問題に帰着します。

実は、憲法89条の議論は、新憲法下の国会でも200回以上、憲法調査会でも何回も取り上げられていることで、珍奇な話ではありません。

162-参-予算委員会-2号 平成17年01月31日

内閣総理大臣小泉純一郎君) 憲法改正の問題は、自由民主党としては、今年立党五十年、大きな節目を迎えて大きな事業だと思っております。秋ごろまでに憲法の草案をまとめたいということで今協議、議論を進めておりますが、果たして現在の憲法のままでいいかどうかという点について問題点はたくさんあるんです。よくこの問題点になるのは憲法九条ばっかり取り上げられますけれども、主として。しかし、憲法八十九条というのを、これで本当に日本は憲法を守っているのかどうかよく考えていただきたい。
 せっかくの機会だから読み上げますよ。憲法八十九条、「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」。私立学校、公の支配に属してないですね。公金が支出されてないんでしょうか、私学助成。その他博愛事業、慈善事業、私は憲法九条ばかりでなくて本当に憲法を守らなきゃならないのかと。
 そういう点について日本は、まあそうはいっても解釈にはいろいろあると、憲法九条取ってみても、戦争放棄はいいですよ。自衛のため、自衛隊が本当に認められているかどうかという点についても専門家の間でも意見分かれています。陸海空その他の戦力は保持しないというんですから。本当に自衛隊は戦力を保持してないんでしょうか。憲法を厳密に解釈すれば自衛隊は廃止しなきゃならないという議論がいまだにある。そして日本政府としては、これは自衛権の範囲だからそのような戦力は憲法に規定する戦力じゃないということで自衛隊は合憲だという立場を政府は取っているわけです。ところが、いまだにそういう意見言っても憲法違反論が絶えない。日本政府としては自衛隊は合憲だと思っていますよ。そういうことについてもあいまいな点がたくさんあるんです。
 だから、その際、今言った問題についてももっとはっきりと分かりやすいような条文に改めた方がいいのではないか。これは憲法九条と憲法八十九条だけの問題ではありません。その他いろいろな条文があります。そういう点について今後、自民党でも議論いたしますが、民主党でも今議論を進めていると聞いております。もちろん自民党だけで憲法改正をできるものでありませんし、してもいいと思ってません。各党できるだけ協議を重ねて、国民的な大方の合意ができるような形で将来憲法を改正した方がいいなと思っているからこそ、今年結党五十年の節目に自由民主党としての案を秋ごろにはまとめて国民的な議論を喚起したいと思っているわけでございます。

150-参-憲法調査会-1号 平成12年11月15日
○佐藤道夫君 二院クラブの佐藤でございます。お見知りおきをください。
 大変次元の高い問題が続いてまいりまして、日本国の歴史と文化、教育のあり方、二十一世紀のこの国はどうなるのか、あるいはまた、この国会の中で唯一憲法が施行されていないのではないかと、こういう大変難しい問題が提起された中で、技術的な問題で恐縮でございますけれども、私自身法律屋なものですから、この条文の解釈、何をさておいてもそこを離れることができないしがない性格なものですから、ひとつ御理解ください。
 そこで、憲法の解釈につきまして、世の有識者を代表するお二方にこういう解釈で果たしていいんだろうかということを忌憚ない御意見を承ればと、こう思って提起するわけでございます。
 まず、憲法八十九条、条文はもう御案内とは思いますけれども、公金、公の金は公の支配に属さない教育の事業に対しては支出してはならないと、こうはっきり書いてあるわけでございます。要するに、私立学校ということに、私立学校に対して公金、国家の金を出してはいかぬよと、だれが読んでもそれ以外読みようのないような規定の仕方がしてあるわけであります。
 これを読んだ私立学校の関係者は、皆飛び上がって感激して唇を震わす、なるほどそうだと。思い起こせば、福沢諭吉が慶応をつくったあの高貴な精神、それから早稲田の校歌が高らかにうたい上げている学の独立、ここから来たんだと。そうだと。これでなくてはいかぬと。事あらば権力に屈せずに国家に対してもはっきりと物を言う、そういう人材を養成してきたのが私立学校ではなかったのかと、皆感激するわけでありますが、はてさて現実はそう簡単ではないのでありまして、今、私学助成金と称して私立学校に何がしかの金が支出されておりますけれども、結論だけでも結構でございます、この金、金額が幾らになるのか御承知でしょうか、佐高参考人

参考人佐高信君) 知りません。

○佐藤道夫君 そちらの参考人は。

参考人西部邁君) 僕は、知らないし、今まで真剣に憲法……

○佐藤道夫君 こんな大事なことを御承知ないなら、私の話を聞いてからにしてくださいませ。
 驚くなかれ、五千億という大金なんであります。なに何兆円という国家の赤字から見たらわずかなものじゃないかと言うかもしれませんけれども、五千億が支出されておる。一体これは何だ、明らかに憲法違反ではないかと、だれだってこう考えるわけであります。
 そして、政府に質問をいたしますと、政府の答えを聞いて驚くでありましょう。この世の中、日本国には公の支配に服さない学校はないんですと。もうカリキュラムから教職員の採用から、すべてが全部国の方針に従って行われ、教育行政が行われている、学校教育が行われている。よってもって、すべての学校が公の支配に属しております、そこに金を出すことは憲法違反とは考えませんと、こういうことなんで私驚いたんですけれども、全然、内閣法制局などという政府の機関は驚かない。当たり前のことです、金をもらいたいからあげているだけで、金をもらった以上はもう学の独立はないのでありますと。どっちが先なのかよくわかりませんけれども、そういうことでもう何十年来となく公金支出が行われてきている。
 それならば、大学の先生、特に憲法を教えている先生方はこの問題を取り上げないのかと、こう思って調べてみますと、まず大体どなたも取り上げていない。私立学校の先生がそんなことを取り上げたら学校にはおれないと。じゃ、国立大学の先生が取り上げればいいではないかと。彼らが定年になりますと、みんな私立大学に天下るわけであります。そんな違憲論をやっていたのでは、受け入れてくれる学校はないでしょうと。学者というのはこんなにひきょうな存在なんですよ。だれ一人そんなことを問題だと言う者はいない。本当の話なんであります。おかしいとしか思いようがないんですけれども、大変に、しかし私は問題だと、こういうことなんであります。
 そして、学校の先生方は、同じ条文で宗教に関しても公金を支出してはならない、こういう規定がありますけれども、宗教に関して支出することについては非常に神経過敏で、総理大臣が靖国神社に玉ぐし料を奉納する、これは憲法違反だと、役所の金を出したに違いないということで騒ぎ立てる。その騒ぎに乗っかって、そういうものは憲法違反だとした裁判例も幾つもありますけれども、そういう人たちに限って、またこの教育の問題については口を閉ざして何も語ろうとしない。一体何だろうかと。
 もし、私立学校が国家の助成がないとやっていけないというなら、学校の窮状というものを明らかに世間に訴えまして、そして憲法改正をしてもらって、それからおずおずと手を出すべきではないのかと。もう福沢諭吉の精神は捨てます、早稲田の学の独立もありません、今や学は独立ではない、もう隷属でございますと、そういうことまで言って金をもらうなら我々としてもよくわかるんですけれども、憲法の規定をこのままにしておいて金だけはもらうと。浅ましいとしか言いようがないのでありまするけれども、いかがでございましょうか、この点についてお二方の御見解を承ればありがたいと思いますけれども。