Goverment of the people, by the people, for the people*2.

buvery2006-08-27

国民による国民のための国民の政府

国民による国民のための国民の政府: 極東ブログ

明け方ぼんやりしていていて、ふと、"government of the people, by the people, for the people"の定訳、「人民の人民による人民のための政治」(参照)が誤訳なんじゃないか。なんで「人民」なんだ?と思った。the peopleは、単純な話、「国民」でしょ。

この『people』は『国民』なのか、というのが本日の出発点です。ここを『人民』とか『国民』と日本語で書く(訳す)のが妥当か、ということではありません。『国民/人民』ということは忘れたことにして、『ゲティスバーグ演説の時のリンカーンはどういう意味で使っているのか』を考えます。というのは、ここで『人民/国民/その他』の選択肢を評価するとき、すでに答えは得られないのではないか、と思うからです。

『人民』の概念

加藤哲郎による人民概念の変遷を見ると、ルソー・リンカーンにおける『人民』というかたちで、この演説が引用されています。そして、その『人民』は『国民』という意味だという引用(孫引き)です。しかし、筆者の主題が共産党の『人民概念』の変遷であることから、私とは話が若干違うことが分かります。というよりも、以下の短い引用にも、いみじくも現れているように、『臣民、国民、公民、市民、大衆、民衆』+『人民』という漢字で書いた翻訳語の評価の問題になっていて、こういう観点からすれば、『人民』ならば共産党の政治的規定の変遷を調べるという話になるに決まっています。しかし、それでは、日本の共産党などできる前にリンカーンが使っている意味は分からない。

http://homepage3.nifty.com/katote/jinmin.html

 政治学の上記二事典は執筆者名を明記していないが、平凡社の『世界大百科事典』(1984年)では、「人民」の項は政治学者阿部斉の執筆で、よく整理されている。
 「じんみん 人民 people 広い意味では国家の構成員を指し、国民と同義であるが、狭い意味では国民のなかから既存の支配層を除いた部分、すなわち被支配層としての国民を指す。こうした対比でみれば、国民が支配層も含めた全体の一体性を強調する概念であるのに対し、人民はむしろ被支配層の連帯と解放を重視する概念として用いられることが多い。<人民主権>や<人民民主主義>などの用例は、いずれもこれまで抑圧されてきた被支配層の解放によって、彼らが真の連帯を実現するために主権や民主主義を用いるとの意味を含んでいる。その意味で、人民はマルクス主義者など左翼勢力に用いられることが多い。ただ、アメリカ合衆国では単一民族を基盤とした国民の観念が成立せず、しかも平等主義的傾向が強力であるため、左翼的伝統の欠如にもかかわらず、人民が国民の意味で用いられた。リンカンの<人民の、人民による、人民のための政治>は、その典型的な用例」。
 とはいえ、日本語は魔物である。現行日本国憲法アメリカ占領軍により作成された英文草案をもとにしていることはよく知られているが、その英文の<people>は、時の日本政府の抵抗と国会の審議過程で、おおむね「人民」ではなく「国民」と訳され、それに血統主義の国籍法がオーバーラップされて、「非日本人」の権利を厳しく制限した。つまり、英語の<people >と日本語の「人民」は、重なり合う部分が多いが、はみ出した部分もある。二つの円を隣り合わせたかたちで、その重なりかた、英語自体の語義のいずれが日本語の「人民」の中心になるかは、歴史的に異なってくる。また「臣民、国民、公民、市民、大衆、民衆」等他の日本語とも、重なりあったり、反発しあったりする。

岡田・山形訳

この訳は冒頭の極東ブログにも引用されています。この訳文はおおむね文法的にも*1丁寧でありますが、the peopleは『人々』というだけです*2
Lincoln "The Gettysburg Address" (Japanese)

It is rather for us to be here dedicated to the great task remaining before us -- that from these honored dead we take increased devotion to that cause for which they gave the last full measure of devotion -- that we here highly resolve that these dead shall not have died in vain -- that this nation, under God, shall have a new birth of freedom -- and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.

ここにいるわれわれの使命とはむしろ、かれらが最後の完全な献身を捧げた理念に対し、この名誉ある死者たちから一層の熱意を持って、われわれの前に残された偉大な任務に専念することなのです。その任務とは、あの死者たちの死を無駄にはしないとわれわれがここに固く決意し、この国が神のもとで新しい自由を生み出すことを決意し、そして人々を、人々自身の手によって、人々自身の利害のために統治することを、この地上から消え去さらせはしない、と決意することなのです(*2)。

Gettysburgの本文

この演説の本文はDCのリンカーン・メモリアルの壁左手のところに彫ってあります。他のメモリアルもそうですが、リンカーン・メモリアルにあるのは、彫像と、字だけです。その演説はこれで全文です。
Gettysburg Address - Wikisource, the free online library

Fourscore and seven years ago our fathers brought forth on this continent a new nation, conceived in liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal. Now we are engaged in a great civil war, testing whether that nation, or any nation so conceived and so dedicated, can long endure.We are met on a great battlefield of that war. We have come to dedicate a portion of that field as a final resting-place for those who here gave their lives that this nation might live. It is altogether fitting and proper that we should do this. But, in a larger sense, we cannot dedicate…we cannot consecrate…we cannot hallow…this ground. The brave men, living and dead, who struggled here, have consecrated it far above our poor power to add or detract. The world will little note nor long remember what we say here, but it can never forget what they did here. It is for us, the living, rather, to be dedicated here to the unfinished work which they who fought here have thus far so nobly advanced. It is rather for us to be here dedicated to the great task remaining before us…that from these honored dead we take increased devotion to that cause for which they gave the last full measure of devotion; that we here highly resolve that these dead shall not have died in vain; that this nation, under God, shall have a new birth of freedom; and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.

これを読むと、リンカーンは戦争目的を再定義しています。『87年前の父祖による建国』は、『自由を理想として生まれ、すべての人が生まれながらにして平等であるという考えに基づいていた*3,*4』その国が生きるか死ぬかの問題なのだ、というのです。そして、リンカーンはそういう国(Union)を救ったことで、5ドル札になるほどの、偉大な大統領になったのです*5

この『government of the people, by the people, for the people』はここでいう『that nation』つまり、『(そういう理念に基づいて作られた)アメリカ』のことをさしています。ではアメリカは何に基づいて作られているのか。

We the people

米国の街を歩いていると『We the people』という店を見かけます。このチェーン店は法律書類を作る手助けをする店です*6。なぜ、このWe the peopleが法律書類のことになるのかというと、アメリカ建国の最初の法律が、We the peopleで始まるからです。米国憲法です。

従って、このthe peopleは、we the peopleのことではないのか。自分たちが『共同体である』という意識で作られた発生過程の『国民』。夏目漱石の言葉で言えば、『内発的』国民、のことです。他国と違うという意味での、外から規定された『国民』ではない。これをふまえて最後の文章を日本語に訳すると、こうなります。

ここで生き残った私たちは、この残された偉業を引き継がなければなりません。名誉の戦死をとげられた人たちが、究極の犠牲を払った大義に、より深く身を捧げること。死んだ人たちを無駄死にさせないぞと深く決意すること。神のもとでわが国で自由を再生させること。そして、私たちの手で私たちのための私たち自らの政府を永続させようではありませんか。

*1:taskとthat節4つが同格であることを明示していることなど

*2:この訳では、government of the peopleを目的格ととっていますが、所有格ともとれるし、意味内容はあまりかわらないと思います。どちらかというと所有格に近い

*3:We hold these truths to be self-evident: That all men are created equal『私たちは以下のことを自明の真理と考える:すべての人は創造主によって平等に作られ、』で始まる一節を持つ、1776年の独立宣言を指す

*4:ここで、『平等』を建国の理念として持ち出したことで、奴隷解放が一挙に政治的に解決(別の言葉で言えば利用)されていることがわかります。

*5:米国の紙幣は低額なほど偉い。1ドルは当然ジョージ・ワシントン。従ってリンカーンは二番目に偉い。

*6:http://www.wethepeopleusa.com/