7q11染色体のコピー数の増加と、チェルノブイリでのヨウ素被曝が相関しているという論文。

以上のことを踏まえて、もとのPNASの論文をみてみましょう。もとの論文は、
Gain of chromosome band 7q11 in papillary thyroid carcinomas of young patients is associated with exposure to low-dose irradiation
Hess et. al. Proc Natl Acad Sci U S A. 108:9595 (2011)
甲状腺乳頭癌の若い患者における染色体7q11の重複は低線量被曝と関連している)

電離放射線は、甲状腺乳頭癌の危険因子であり、チェルノブイリ事故後に甲状腺乳頭癌が増えたことが知られています。チェルノブイリでの甲状腺癌は、前述のようにRET/PTC組換え(特にRET/PTC3)が多かったことから、初期はRET/PTCが放射線による遺伝子異常のマーカーではないかと考えられていましたが、放射線が原因ではない甲状腺癌でもRET/PTC組み換えが見られ、また成人に多いBRAF変異が少ない事から、RET/PTC組み換えをもつ甲状腺癌は、癌の発症年齢に依存しているのではないか、という意見が出てきています。

そこで、この研究では、被曝に依存した遺伝子変化を調べるため、チェルノブイリ組織銀行(Chernobyl Tissue Bank=1998年からウクライナとロシアで甲状腺癌の組織を収集している)から、放射性ヨウ素に被曝したもの、していないものの甲状腺癌の組織を手に入れ、染色体コピー数変化(この論文では copy number alteration=CNA、ただし、一般には copy number variation= CNV という略称の方をよく使います。)をゲノム(遺伝子全体)で調べました。

まず最初に被曝したもの33例、被曝していないもの19例の年齢と人種を合わせた合計52例の集団を作り、そこで、ゲノムでのCNAを調べ、染色体7q11の重複があることを見いだしました。その結果を、検証するために、被曝したもの16例、被曝していないもの12例の別の集団で重複があるかどうかを調べ、確認できたことを示しています。『被曝していない』という定義のために、少なくともチェルノブイリ事故から9ヶ月以降に産まれた人の甲状腺癌を選んでいます。9ヶ月はおおよそヨウ素131の33半減期(おおよそヨウ素131は100億分の1になっている)なので、それだけたった人を選べばヨウ素の被曝をしていないからです。


表1は、患者の分布を示しています。被曝年齢を合わせることは当然できない訳ですが、その他の手術年齢、腫瘍の大きさ、リンパ節転移は似たようなものです。特に年齢を合わせているのは、RET/PTC3が若年で多く、年齢とともにRET/PTC1が増える事が分かっているからです。若年の甲状腺癌ですから、教科書通りBRAFの変異は少なく、サンプル数の少ない『被曝していない甲状腺癌で検証例のもの』をのぞき、RET/PTC組み換えが多い事が分かります。(補遺をみると、BRAF変異のある人はRET/PTC組み換えが『ない』ことが分かります)RET/PTCは若年の甲状腺癌に多い訳ですが、全ての人にある訳ではないことに注意して下さい。だから、7q11の重複がRET/PTCをひきおこすとは言えません。


図1は、3400のBACクローンを使って、腫瘍組織のコピー数変化を網羅的に調べたものです。常染色体では、通常は2コピーずつあるわけですが、図の緑はコピー数が増えているところ、赤はコピー数が減っているもの。様々の領域でコピー数の変化があります。*1コピー数の変化は、0-100%の色々な値で変化していることが分かります。(赤は下から、緑は上から棒グラフを書いています)また、細かい事ですが、彼らの使った方法では、性染色体(XとY)でのコピー数変化は調べることができません。だから、この図では、22対の常染色体のみしか示していません。

その中で、被曝の有無によって明らかな差があるのが、染色体7p14.1-7q11.23にわたる32.1Mbpにわたる部位でした。ここで、この変異は被曝している患者の検体全てで見られるものではなく、4割程(33例中の13例。39%)の検体でしか見られていないことに注意して下さい。だから、『被曝すれば7q11の重複を起こすから小児甲状腺癌になる』というのは誤りです。

この論文の著者達は、被曝を等価線量で150mSvと推測して、被曝による甲状腺癌の割合を85%程度と推測していますが、この検体の患者の被爆線量は全く測定されていないので、あくまで当て推量です。ただ、全部が全部被曝による甲状腺癌でない可能性があるということです。

その後に、検証用の検体を使って、被曝の有無で差が出る領域を同じようにarray CGH(array CGHが何かは、知りたい人は調べて下さい。大要の理解には必要がありません。)を使って探すと、16例中の6例で、もう少し狭い範囲(7q11.22-7q11.23, 4.3Mbp)に被曝した患者だけにでる重複領域がありました。この領域は先程のものに含まれるので、コピー数が増えている最小領域はこの4.3Mbpの領域であることが分かります。Ensembl データベース*2を探すと、この領域には68個の遺伝子があることが分かります。

*1:遺伝子が重複しているのは、81箇所、欠損しているのが63カ所。

*2: http://www.ensembl.org/