フランスに住んでいるコリン・コバヤシが宣伝しているミッシェル・フェルネックスの動画がありますが、ここで、エートス計画が始まって以来ベラルーシの健康状態が悪化し、あたかもエートス計画で放射線防護を進めると子供の健康状態が悪化するという因果関係があるかのような主張をしています。

ミッシェル・フェルネックスというのは、退職したスイス人の医者で熱帯医学(マラリア)が専門です。その関係でWHOでも働いておりました。放射線被曝の影響は特に専門でもなく、放射線の被曝に関する論文を出している人ではありません(pubmedによる)。もちろん、エートス計画が始まった時には、WHOには勤めておりません。配偶者(故人、ソランジュ・フェルネックス Solange Fernex)はフランス緑の党を設立した人です。『チェルノブイリ・ベラルーシのこども』という基金の代表を一時つとめており、ネステレンコ(父・故人)のベルラド研究所に資金援助をしていました。

ちなみに、ミッシェル・フェルネックスは1929年生まれ、66歳の1995年で退職しているのでエートス計画の始まった1996年にはすでに退職した後です。

http://www.enfants-tchernobyl-belarus.org/doku.php

Depuis sa création le 27 avril 2001, à la demande du Professeur Vassili Nesterenko , l'association s'efforce :
→ D'apporter une aide financière à l'association BELRAD qui intervient auprès des enfants dans les régions de Belarus contaminées par les retombées radioactives de Tchernobyl

2001年4月27日に、ネステレンコ教授(ヴァシーリ・ネステレンコ 1934年12月2日-2008年8月25日)の要請で設立されてから、協会は以下の努力をしています。
チェルノブイリからの放射性降下物に汚染されたベラルーシの地域の子供達とともに仕事をしている組織ベルラドに財政的援助を与えること。

この動画を見ると、フェルネックスの言っていることの根拠は、会議で発表した女医さんの手書きの原稿であることが分かります。その原稿自体公表されていないし、その他の根拠があるわけではありません。しかも、フェルネックスは2002年2月22日以来、同じ話を繰り返している(翻訳はコリン・コバヤシ)ので、その話が正しいのかはもとより、その後の10年でどうなっているのかはさっぱり分かりません。

それ以前にフェルネックスはエートス計画と健康状態の因果関係の根拠は何も示していません。フェルネックス本人はエートス計画で食料の汚染が減っていることを認めているわけだから、(『この農作物はセシウムは少ないので、販売することもできた。』)もし、汚染が減っても、健康状態が悪化するということであれば、被曝と健康状態は関係のないことになる。

この文章では、因果関係については触れず、ベラルーシ全体の健康状態がどうなったのかをみて、エートス計画が始まってから現在までに、小児の健康状態が飛躍的に改善されていることを示します。エートス計画の『おかげで』健康状態が改善されたということは示しませんが、エートス計画で小児の健康状態が10倍悪化したとは言えないし、そもそも、この15年で小児の健康状態が悪化していなければ、フェルネックスの言うことは最初から現在のベラルーシと関係のないことになります。

ベラルーシのエートス計画は1996年から。

ここで簡単に復習しますが、ベラルーシでジャック・ロシャールさん、ジル・エリアール=ドブレイユさんたちがエートス計画を始めたのは1996年です(エートス1とエートス2、2001年まで)。その後、セイジ計画(2002−2005年)、コア計画(2004年ー2008年)が行われています。その後、コア計画の要旨は、ゾイア・トラフィムチェクさんの率いるベラルーシ緊急事態省管轄のBBRBIC(Belorussian Branch of Russia-Belarus Information Center=ベラルーシ・ロシア共同情報センターベラルーシ部局)に引き継がれています。

ゾイアさんの説明よるエートス・コアからBBRBICへの経過の図。
PDF http://www.jaif.or.jp/ja/news/2012/jaif_bbrbic-lic-report120531.pdf p21

WHOのヨーロッパ支局のHFADBには、ヨーロッパの保健データが公開されている。

WHOのヨーロッパ支局の公開しているHFADBは、誰でも入手可能で、ヨーロッパ諸国の保健データを比較できます。WHOの分類では旧ソ連はヨーロッパに分類されるので、これを用いて、ベラルーシの保健状態がどう変化しているのかを調べました。WHOのデータを使った理由は、国際比較できる基準のものでないと、他国の傾向と比較できないからです。ここでは、比較対照として

を選びました。

全体の傾向として、ベラルーシの小児の保健状態は改善している。

ベラルーシでの5歳児以下の死亡率は、以前ツイした通りですが、あれは、WHOの各国概観に載っているまとめからとったものなので、もう少し詳しく見ます。



これを見ると分かりますが、全ての国で5歳児以下死亡率は低下傾向にあり、ベラルーシ(赤)は旧ソ連の中で優等生で、EU(紫)に並ぶほどだと分かります。1990年代は停滞していますが2000年代の低下が著しい。



新生児死亡率(一歳以下)でも同じことが言えます。



感染症による退院数の推移。
ベラルーシは昔のデータがありませんが、カザフスタンウクライナは、80年代から一貫して徐々に減ってきていることが分かります。


実は、癌の絶対数(年齢調整なし)は、全ての国で少しずつ上昇していて、旧ソ連の中ではベラルーシが一番高くなってきています。しかし、それでもEUより低い。これは、老齢化など社会構造の変化によるものが大きいわけですが、それは後で述べます。



もっとざっくりとした指標である平均余命をみると、旧ソ連の諸国はすべて90年代に悪化したことが分かります。特にロシア(青)は1986年の70歳が、1994年の64歳と、8年間で6年も短くなる惨憺たるありさまです。ベラルーシ(赤)はまだましな方ですが、それでも1988年から2000年にかけて、4年程下がっています。これらは、どの国も2000年代にゆっくり回復しています。チェルノブイリ事故で汚染されていないカザフスタン(緑)でも5年程低下していますから、平均余命の低下はソビエトの崩壊と一致します。この間、EU(紫)ではゆっくり平均余命は増えています。

以上、まとめると、エートス計画が始まった1996年から現在に至るまで、特に小児の健康状態は飛躍的に改善し、一時悪化した平均余命もゆっくり回復していることが分かります。

年齢調整済み死亡率は、チェルノブイリ後悪化して回復したものと、関係ないものがある。

年齢が死亡に関して一番大きな要素なので、年齢調整済み死亡率(SDR)を調べると、大きく分けて、ベラルーシでは、90年代にある程度増えたものと、ほとんど変わらなかったものがあることが分かります。ただし、90年代に死亡率が増えたほとんどの場合は、旧ソ連すべての国で起きた現象で、チェルノブイリの汚染とは関連していません。

癌、糖尿病はチェルノブイリ後ではなく、80年代初頭から増え始め、90年代半ばにピーク。それからゆっくり下がっている。


年齢調整済み全死亡率。これは90年代半ばに増え、2000年代に減り始めています。



年齢調整済み全悪性新生物(癌)死亡率。事故前の80年代初頭から増え始め、90年代半ばにピークを迎え、その後減っています。



年齢調整済み呼吸器系の癌死亡率。これも同じで、80年代初頭から増え始め90年代にピークを迎えてから減っていきます。



年齢調整済み乳がん死亡率。これは、80年代初頭から増え始めているが、90年代で高止まりして、その後減っていません。



年齢調整済み内分泌器官の癌死亡率。放射線によっておこることで有名な(小児)甲状腺がんはこちらに入ります。80年代から増え、90年代にピークを迎えてその後ゆっくり減少しています。甲状腺がんは死亡自体が少ないので、他のがんと比較すると、このピークの中に埋もれています。



ここで、似たような経過を辿っているものに、糖尿病があることに注意して下さい。カザフスタン(緑)が一番変化が大きい。被曝などしなくても、巨大な社会の変化がおきれば、糖尿病患者を量産します。

以上見ると、全体の傾向として、癌は80年代から増加を始め、乳がんの増加など、典型的に都市型の癌が増えている。(日本でも乳がんは都市部に多い。)従って、チェルノブイリ事故直前から比べて癌が増えているのは、事実ではあるけれど、それは事実の一部で、実は80年代初頭から増えていることが分かります。

感染症結核)は、明らかに90年代に悪化している。


年齢調整済み感染症死亡率。
感染症の悪化のパターンは違います。これは、カザフスタン(緑)に特徴的な、明らかなピークが90年代にあり、その他の旧ソ連諸国も漸増している。それでも、ベラルーシ(赤)は死亡が一番低い。



年齢調整済み結核死亡率。
この感染症の増加のざっと8割くらいの原因は結核結核は、開放性の患者からの空気感染だから、患者からの接触が増える、衛生の悪い集団生活や、低栄養、貧困などが誘因となります。また、治療薬はあるものの、長期にわたる服用が必要となるので、資金的または情緒的支援(要するに、薬を飲むように気をつけてくれるひと)が必要となる。もう一つの可能性はHIVをもった人への日和見感染ですが,



HIVの感染率。HIVの感染が増え始めるのは、96年頃からなので、これは結核の原因ではないと思いますが、特にウクライナは危険な状況ですね。

国家の管理できる感染症とできない感染症

この統計をみると、統制国家であるベラルーシでは、予防医学的にはちゃんとした対策を行っていることが分かります。

ポリオ、百日咳、麻疹などワクチンの確立しているものは、統制国家なら管理できる。


例えば小児まひをおこすポリオ。これには確立したワクチンがあり、それを接種するとほとんど防ぐことができます。これをみるとカザフスタン(緑)、ロシア(青)では流行があるが、ウクライナ(黄)や特にベラルーシ(赤)ではほとんど発生していない。ベラルーシEU(紫)より優秀です。



その理由は、近年ベラルーシ(赤)ではポリオのワクチンの接種がほぼ完全に行われて、EU(紫)よりも優れているからです。ロシア(青)やカザフスタン(緑)での流行はワクチンの接種が下がった時期に対応しています。



はしか(麻疹)でも、同様の結果が見られ、90年代からはEU(紫)よりベラルーシ(赤)の方が成績が良い。これも予防接種記録をみると、



旧ソ連圏、特にベラルーシ(赤)では非常によい接種成績を示しています。これをみると、ウクライナ、大丈夫かとも思いますね。



次に百日咳でも同じことが言えて、ベラルーシ(赤)やカザフスタン(緑)はEU(紫)より成績が良く、



それは、予防接種の成績にだいたい比例しています。
以上が、国家が統制さえかければ、比較的容易に管理できる病気の例です。このような病気では、チェルノブイリ後でも事態は悪化していません。



A型肝炎のワクチンはないことはないのですが、一般的ではありません。糞口感染が原因だから、下水周りの衛生環境が分かります。下水を管理するのには巨大なインフラを作らないといけないから、ワクチンで対処するほど簡単ではありませんが、90年頃に多かった感染が徐々に減っていることから、全体の衛生環境が徐々に改善していることが分かります。

以上は、ある程度国家が管理できる病気です。

国家が管理できないもの。梅毒、妊娠。

ところが、ワクチンをうって終わりとならない、人間の性行動の場合は、国家で統制するわけにはいきません。だから、驚くべき違いがでてきます。



梅毒の発生率。
1997年頃をきれいなピークとして旧ソ連各国で梅毒が増加し、その後減少します。これは、それまでの性行動を支配していた規範がこの4カ国で同時に変化しているからです。梅毒の感染は不特定多数の性交渉がないとリスクが上がりませんから、そういう状態(性産業)が出現しないとこういうことにはなりません。現代では梅毒はちゃんとした診断さえできれば、そう高価ではない抗生物質で簡単に治療できる病気です。



同じことは、未成年の出産からも分かります。梅毒ほどはピークが鋭くはありませんが、1994年頃をピークとして、増加、そして、ゆっくりと減少しています。

以上、複雑な社会規範に支配されていた性行動が、一度崩壊し、徐々に再編成されているように見えます。もちろん、この時期におこったのは、ソビエトの崩壊と経済の破綻です。

交通事故もソビエト崩壊後増えている。


90年代初頭には年齢調整別交通事故死が増えています。だからこそ、交通事故まで原発事故の影響だとまで言われたわけですね。カザフスタンでも激増しているので、放射能によるものではないのは明らかです。ただし、実際に交通事故が激増したことは事実。

2012年08月17日金曜日
・二つの被ばく地−チェルノブイリと福島
(3)暗中のリスク/低線量の影響、不透明/医師評価分かれる
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1107/20120817_01.htm

チェルノブイリで最も深刻な健康被害は心的影響だった。「91年当時はあらゆる病気、交通事故までが原発事故のせいにされていた」と山下氏は振り返る。その轍(てつ)は踏みたくない。

旧ソ連で90年代は何がおこっていたのか。

今までの概観をみても、90年代初頭から始まって90年代にいろいろな急激な社会構造の変化がおきたことは間違いない。


65歳以上人口を見ると、80年代後半からロシア・ベラルーシウクライナでは老齢化が進み、カザフスタンは若年人口が多いものの、老齢化が進行していることが分かる。ここ数年は若干老齢化が遅れていることが分かる。もっともそれでもEUに比べると、まだ老齢化率は低い。



それに対応するように、14歳以下の若年人口は90年代初頭から減って少子化が進んでいることが分かる。少子化が速度を緩めたのはここ数年のこと。



人口一人当たりのGDPを見ると、EUに比べるとはるかに低いが、経済の低迷は1999年で底をうち、その後2000年代は上昇に転じています。ここで、ウクライナ(黄)のGDPの伸びが一番低いことに注目。意外とカザフスタン(緑)の成長が著しい。


また旧ソ連諸国では、70年代から都市化が進み、特にベラルーシ(赤)では、強烈な都市化が進行しています。
この様に全体的には老年化、少子化、都市化(特にベラルーシ)で進行しているのに加えて、1989年にソビエトが崩壊します。


インフレ率。カザフスタンを除き旧ソ連参加国は一時1000%を越える破壊的なインフレが進行しています。一番ひどいウクライナ(黄)では、一年で物価が35倍にもなるインフレを経験しています。この狂乱物価が落ち着いたのは、1996年頃。2000年代には安定しています。


失業率。完全雇用だったソビエト時代に比べて、曲がりなりにも雇用を確保したのは統制国家のベラルーシ(赤)だけで、残りは良くなってきてはいるものの、失業者を回収できていません。

まとめると、都市化、老年化を原因とした都市型、老年型の病気(癌・糖尿病)の増加を基調とし、ソビエト崩壊の破局的な経済の結果がでてきた90年代の失業、インフレと社会の流動化が怒濤のような変化(梅毒・未成年の出産・結核・自動車事故)をおこしたのであって、原子力災害はそれに付け加えられたものであることが分かります。ロシア・ベラルーシウクライナでおこった変化はほとんどそのままカザフスタンでも起きているので、主要な原因がソビエトの崩壊と社会の再構成によるものです。それでも、社会的な統制を維持したベラルーシにおいては、先進ではない技術で予防できる疾患(ポリオ・百日咳・麻疹)はほぼ完全に制御され、小児の健康状態は90年代は横ばいですが、2000年代ははるかに改善されています(5歳児以下死亡率)。

以上、エートス計画の始まった96年からみると、90年代の困難な時代を経て、現在では小児の健康状態は十分に改善されていて、フェルネックスがにおわせているように、小児の健康状態が悪化してそのまま、ということはありません。