集団線量

ICRPは、LNT仮説をとって、しかも、(現在は放棄しましたが)『集団線量』という概念を作り出しました。どういうことかというと、まず、線量は人を越えて足し算できる、と仮定する。

(ある人の受けた線量)+(別の人の受けた別の線量)+…=(集団線量)。

同じ線量ならかけ算もできることになります。

(個人の受ける線量)X(人数)=(集団線量)。

さらに、LNT仮説によると癌確率は線量のみに比例するから、

(死亡人数)=(死亡確率)X(集団線量)。

つまり、1/200の確率で癌で死亡する線量(100mSv相当)を200人にあてると、1人死亡することになります。LNT仮説では死亡確率は線量に比例、ですから、10mSvだと確率は1/2000、つまり2000人に1人死亡する。これでなんでも予測できる。

正しくは、線量でなく、実効線量と言うべきなのですが、おおよその考えはこんなところです。問題は、低線量の被曝の個別の測定は難しいので、適当な『平均』を推測し、さらにこの(人数)が巨大であると、計算された(死亡人数)が莫大になることです。一人の命が地球一個分なら、地球が何個あっても足りなくなります。

通常営業でのLNT仮説をとった防護は大した問題ではない。

ICRPの『正当化』の考えは私も認めますが、損得計算の損を上の計算での『集団での死亡人数』とすると、放射線被曝に対し、厳しい制限を課し、被曝を少なくするために、大量の資源をつぎ込むことになります。通常時資源に余裕のあるときは、単に手間が増えるだけで、LNT仮説に大した実害はありません。

低線量でのLNT仮説による計算は、予測になっていない

現在、ICRPは集団線量を損得計算に使うなと言っていますが、LNT仮説を認めれば、結局はあまり変わりません。線量が自然線量(1-10mSv)に近いレベルになると、(人の受けた線量)も推定になれば、(死亡確率)は完全に空想上の仮定になります。そもそも、線量(厳密には実効線量ですが)が足し算できるというのも、仮定です。その確率や線量をちょっといじって、多数の人口を何も考えずにかけ算すると、膨大な死者とリスクが出てきます。私がインチキ団体と呼ぶECRRなどがやっているのはまさにこれ。私に言わせれば、単なるコケオドシです。

『集団での死亡予測』の人はまだ死んでいない

しかし、大規模事故の場合は、無限に資源があるわけではないので、放射線防護に資源を浪費することでの被害が出てきます。なにせ、かけ算なので、かけ算する人数が多ければ、計算上の『集団での死亡人数』は天文学的に増えます。どんな犠牲を払っても被曝を防ぐために退避、疎開、となります。でもね、この計算上の『集団での死亡』した筈の人は、本当は、まだだれも死んでいません。死ぬとしても先の話です。仮定に仮定を重ねた数字なので、本当にそうなるかも実は分からない。現実には、福島第一原発そばの双葉町双葉病院では、退避の混乱のなかで45人の患者さんがなくなりました。こっちの方は現実です。これが賢い損得計算なのだろうか。

チェルノブイリの移住基準は5mSv/年、しかし移住の負担は大きかった

チェルノブイリでの強制疎開基準は5mSv/年です。中部大学の武田さんなら、それで何が悪いとおっしゃるかもしれませんが、その結果何がおこったかというと、村落の共同体の崩壊と、超過疎化、アルコール中毒、若者の脱出、失業、精神不安定な人の続出です。何度も書いているかもしれませんが、人を強制移住させると必ず誰か死にます。チェルノブイリ フォーラム(2003-2005)の報告を読むと、強制移住に対する強い懸念が分かります。癌は防げた、でも失業し、癌より先にアル中で死んだ、では何の意味もない。それこそ、強制移住にも(死亡確率)がある。ICRP 109で、『1-20mSv/年の地域に、住んでも良いのではないか』といいはじめ、ICRP 111でもそれを踏襲しているのは、チェルノブイリ フォーラムの影響があるのじゃないかと思います。もっとも、日本では、原発事故は絶対にないことになっていましたし、事故に備えて放射線管理区域の法律を変えることもしておりませんでした。

被爆だけが恐ろしいものではない。

広島長崎の被爆者の場合は、被曝していない人より癌は多いのにも関わらず、男女とも死亡率は被曝していない人より9%程低い。つまり、4Sv(!)位までの発癌のリスクは、無料の健康診断、病気の早期発見などでおつりがくる程度の被曝だということ。だから、私は、汚染地域の人には健康保険の補填と個人の健康管理で補償せよ、と主張します。汚染地域の人の健康も守られ、もし、この程度の汚染で何も害がなければ、ないという知識だけでも国民の財産になる。キリストの『人はパンのみにて生くるにあらず』に習って言えば、『人はガンのみにて死ぬにあらず』。結局、ICRPの『正当化』の話になりますが、汚染地域での放射線被曝に対する対価が(今のままでは)存在しない以上、なにか対価を付けないと理屈にあわない。それでも、退避したいという人には、もちろん、そうする権利があります。昨日の書いた通り、それが得かどうかを判断できるのは、当事者です。