線形しきい値なし仮説
放射線を浴びると癌になります。
集団線量
ICRPは、LNT仮説をとって、しかも、(現在は放棄しましたが)『集団線量』という概念を作り出しました。どういうことかというと、まず、線量は人を越えて足し算できる、と仮定する。
(ある人の受けた線量)+(別の人の受けた別の線量)+…=(集団線量)。
同じ線量ならかけ算もできることになります。
(個人の受ける線量)X(人数)=(集団線量)。
さらに、LNT仮説によると癌確率は線量のみに比例するから、
(死亡人数)=(死亡確率)X(集団線量)。
つまり、1/200の確率で癌で死亡する線量(100mSv相当)を200人にあてると、1人死亡することになります。LNT仮説では死亡確率は線量に比例、ですから、10mSvだと確率は1/2000、つまり2000人に1人死亡する。これでなんでも予測できる。
正しくは、線量でなく、実効線量と言うべきなのですが、おおよその考えはこんなところです。問題は、低線量の被曝の個別の測定は難しいので、適当な『平均』を推測し、さらにこの(人数)が巨大であると、計算された(死亡人数)が莫大になることです。一人の命が地球一個分なら、地球が何個あっても足りなくなります。
チェルノブイリの移住基準は5mSv/年、しかし移住の負担は大きかった
チェルノブイリでの強制疎開基準は5mSv/年です。中部大学の武田さんなら、それで何が悪いとおっしゃるかもしれませんが、その結果何がおこったかというと、村落の共同体の崩壊と、超過疎化、アルコール中毒、若者の脱出、失業、精神不安定な人の続出です。何度も書いているかもしれませんが、人を強制移住させると必ず誰か死にます。チェルノブイリ フォーラム(2003-2005)の報告を読むと、強制移住に対する強い懸念が分かります。癌は防げた、でも失業し、癌より先にアル中で死んだ、では何の意味もない。それこそ、強制移住にも(死亡確率)がある。ICRP 109で、『1-20mSv/年の地域に、住んでも良いのではないか』といいはじめ、ICRP 111でもそれを踏襲しているのは、チェルノブイリ フォーラムの影響があるのじゃないかと思います。もっとも、日本では、原発事故は絶対にないことになっていましたし、事故に備えて放射線管理区域の法律を変えることもしておりませんでした。
被爆だけが恐ろしいものではない。
広島長崎の被爆者の場合は、被曝していない人より癌は多いのにも関わらず、男女とも死亡率は被曝していない人より9%程低い。つまり、4Sv(!)位までの発癌のリスクは、無料の健康診断、病気の早期発見などでおつりがくる程度の被曝だということ。だから、私は、汚染地域の人には健康保険の補填と個人の健康管理で補償せよ、と主張します。汚染地域の人の健康も守られ、もし、この程度の汚染で何も害がなければ、ないという知識だけでも国民の財産になる。キリストの『人はパンのみにて生くるにあらず』に習って言えば、『人はガンのみにて死ぬにあらず』。結局、ICRPの『正当化』の話になりますが、汚染地域での放射線被曝に対する対価が(今のままでは)存在しない以上、なにか対価を付けないと理屈にあわない。それでも、退避したいという人には、もちろん、そうする権利があります。昨日の書いた通り、それが得かどうかを判断できるのは、当事者です。