ICRPのいう正当化と最適化

もともと、この文章は、ジャーナリストの江川紹子さんが、東電会見で『ICRPに20mSvという数字を確認したのか』と質問をしているのを聞いて書いたツイートでした。私は、文科省の20mSv/年以下は安全であるという決定や宣伝に反対していますが、その理由を説明しようとした文章です。

ICRPの文章は抽象的に書いてあって読んでも分かりにくいので、私が要約しておきます。

ICRPの考えでは、ジャスティフィケーション(正当化)、オプチマイゼーション(最適化)が大事。

基本的に*どんな微量放射線でもガンになる確率はある*から(LNT仮説)、『放射線を受ける利益と害があるとして、利益が多いとすればよし、害が多いとすればだめ』これが『正当化』です。同様に、『同じ被曝をするにしても、できるだけ少なくするべき』これが『最適化』。私は、これらの考え方は妥当だと思います。LNT仮説の問題については、以前に書いた通りです。

郡山市や福島市の被曝は正当化できない。

今回の原発事故の例をとります。低度汚染地域、郡山市福島市の中心部では、正当化原則によると、放射線の害があることは明らか。放射線を受ける事そのものの利益はない。だから、正当化できない。伝統的なICRPの考え方に準拠すれば、結論はここでおしまいです。

原発の被曝を医療被曝と比べることは筋違い。

枝野長官などは、CTがどうの、医療X線がどうのと医療被曝と比べていましたが、ICRPの正当化原則から言えば、トンデモない。医療は、CTなどによる診断の利益と、放射線の害を比較して診断の利益が多い時に患者の納得づくで受けるもの。患者の利益は最終的に患者が判断するしかない。自分のいのちだもの。医者は代わりには死んでくれません。道を歩いている赤の他人にむりやりCT検査をして良いという話はない。今回の郡山市などでおきている公衆被曝は、何の益もない、何の同意もない、むりやりむき出し選択肢なしの被曝であって、比べる事自体がおかしい。

汚染地域に住む人たちの『得』は主観的なものだから、当事者本人にしか判断できない。

ただし、今回の低度汚染地域では、放射線を受ける利益はないが、それに対する措置、例えば、疎開や移住を行えば害(不利益)がある。大量の人間を移送すれば必ず死人がでます。弱い人、病気な人がいる。家族がバラバラになる。それを考えると、疎開や移住を行わない利益があるとも言える。ICRP109やICRP111で言い出したのは、この『今そこにある被曝』にどう対応するのか。汚染があっても住むという選択肢があるのじゃないか。正当化原則から言えば、『不利益を被らないという間接的利益』があるのではないか。ただし、その利益の大きさは郡山市福島市に住んでいる*当事者にしか判断できない*。だから、低度汚染地域に住むかどうかは、ICRPの正当化原則からすれば、地元民が決めるべきもの。目に見えない、主観でしか決められない利益と放射線の害を比べるわけだから、これは科学の話ではない。個人や集団の意思、つまり、住民の政治決定の話です。だからこそ、ICRP111は『住むか住まないかを決める参考線量』を決める時に利害関係者が決定に参加することを求めています。文科省が勝手に決めて良い事ではありません。

文科省の決定は、ICRPの正当化原則に従っていない。

今回、私が文科省の通達および説明に対して、シツコク反対している一つ目の理由は、ICRPの正当化原則から『20mSv/年以下は被曝して良い』とは絶対に言えないから。利益がゼロのものに対して被曝するのは、ICRPの基本的な考え方からすれば、たとえ1mSvであろうと正当化できません。これを正当化して良いというのは、前述のように、ICRP109やICRP111のように、住民の現実的な『不利益がないという利益』と比べる話の場合。この場合は、放射線の利益と、害を比較するわけだから、その*利益*は何かが問題です。それは、疎開、移住というチェルノブイリでとられた最終手段をとると害があるから、それをしないのが利益、政府も問題をないことにすれば、面倒が減って利益、というのが本音です。が、ICRPのいう『利益』は政府の都合ではなくて、被曝する地元民の主観による利益だから地元民しか決められない。だから、正しい質問は、『政府はどのような利益が被曝の害より大きいと主張しているのか?その利益は地元民が判断すべきものなのではないのか?』『文科省に地元の子供たちやその親の主観的利益を決める権利はあるのか?誰がその責任をどうとるのか?』『疎開した方が良いと判断した家族に政府はどのような措置、援助をとるのか?』になります。責任をとりたくないから、決定したプロセスを文科省は言いたくない。私はそれに腹がたつ。

文科省の20mSv/年以下なら安全、という宣伝はICRPの採用しているLNT仮説に反している。

そもそも、原理原則として、ICRPはLNT仮説を採用しているから、どんな微量の放射線でもそれに比例したガンの確率があることを前提に話をしている(例えばICRP99)。もちろん、LNT仮説は『分からないことを分かった事にする政治的な問題』だから、LNT仮説をとらない、という立場もありえる。ただ、ICRPはそうしていないのだから、LNT仮説を無視する以上、ICRPに準拠しているとは言えない。江川紹子さんが政府に質問していた『20mSv/年はICRPに確認したのか』に対しては、ICRPはどの数字であっても『それ以下は無害』とは原理上答えられない。従って、正しい質問は、『ICRPに準拠するとどんなに微量の放射線でもガンの確率はあるといっているが、なぜ文科省ICRPに準拠していると嘘をいうのか』になります。ある数字以下は『無害』と言っているのは文科省であって、ICRPではない。

文科省はICRPのいう『最適化』を行っていない。

私がシツコク反対する二つ目の理由は、文科省ICRPの要求する最適化を行っていないから。『被曝するにしても、出来るだけ少なくすべき』。だから、ICRPは当局に対して、個人モニタや、除染等、合理的な措置を求めています(ICRP111)。『20mSv/年は無害(だから何もしない)』と言っている文科省は被曝の最適化を行っていないから、ICRPに準拠していない。少なくとも個人モニタや最低限(学校の校庭、公園など)の除染は必要ではないのか。そういう意味では、郡山市が、小学校や幼稚園の校庭の除染を一億円かけてするという決定は正しい。

ICRP111で言っている参考値は、最適化するために使う指標。最適化(例えば除染や個人モニタ)をしないのなら、意味がない。

ICRP publication 111で新しく出ているのは、1-20mSv/年の*下の方*に線を引いた、参考値=reference levelの考え方。*1これは、個人モニタを行って、高度被曝をしている人がいないことを確認し、できるかぎり下げる*参考*にするという意味。それ以下が無害などとは言っておりません。ですから、『ICRPは参考値を指標として個人の被曝をできるかぎり少なくするようにと言っているが(=最適化)、政府は個人モニタを使わずに、どうやって参考値より高く被曝した人がいることが分かるのか?』という質問になります。個人モニタをせずに分かる訳がありません。

以上が、私が文科省の方針や宣伝に反対している理由です。

*1:政府は『下の方』という文言を読まなかったことにしています。