ICRPダイアログについて

ロシャールさんがICRPの委員で、ダイアログを主催しているのは事実です。福島でのダイアログは、これまで、6回開催されていて、そのうち、5回は伊達市、6回目が福島市です。福島のエートスは、2回目から参加していて、参加した会の資料を集めて他の人も見ることができるように公開しています。

その内容は、ICRP Dialogue のページにあります。このサイトは福島のエートスのものを使用していますが、そのページの注意書きにあるように、このダイアログは国際放射線防護委員会(ICRP)が主催しているもので、福島のエートスは参加しているグループの一つです。

注意書き:

このICRPダイアログセミナーで発表されたのは、私たちのものを除き、発表者それぞれの意見であって、福島のエートスのものではありません。(ICRPダイアログの主催はICRPであり、福島のエートスではありません。)
The views presented in the ICRP dialogues are of the presenters, not ours, except the one presented by Ms Ando of ETHOS in Fukushima. (ICRP Dialogues are sponsored by ICRP, not by ETHOS in Fukushima.)

このダイアログは、福島で放射線防護に関わっている当事者が集まって、良い方策があるかを考えるためのもので、色々な考え立場の人が来ます。参加する側の立場から言えば、様々な努力をしている人たちと知り合いになり、ネットワークを作るのが一番の目的だと言えます。

みんな楽しくHappy♡がいい♪の福島原発告訴団の記事は、福島のエートスが何かを知らない。

「福島エートス・福島原発告訴団」武藤類子さん4/21郡山(内容書き出し)
キャッシュ

ここには、

そして、ま、ちょっとなんて言うんですか、
あの…、正しいのかあれなのか私も何とも言えないんですけれども、
福島エートスというグループでね、
そういうところが講演会をどんどん始めています。
それからジャック・ロシャール(ICRP委員)という方が言ったダイアログというものも
各地で読まれたりしています。


そういう中で次第に「放射能もこのぐらいなら大丈夫なんじゃないか」みたいな
そういうものが流布されているような気がしています。

とありますが、福島のエートスは車座の集会が普通で、講演会が主体の活動ではありません。

福島のエートスの活動は公開されている。

福島のエートス活動を公開しているので、見ると分かりますが、車座になってのお話会が基本です。『正しい知識』を伝えるのが目的ではなく、同じ目線で問題解決の方法を話し合うのが目的なので、基本的に講演という形はとりません。(福島のエートスの活動を、例えば東京の人に知ってもらうための講演ならします。)

竹野内真理の書くデマの例:除染スタッフや原発労働者が必要だから、福島県人を逃がしたくない

たとえば、このツイキャッシュ)には、

Mari Takenouchi ‏@mariscontact

除染スタッフや原発労働者が必要だから、福島県人を逃がしたくないのです。もちろん国が補償額を減らしたいからという理由もある。それをごまかすためにエートスなんて言う、自主的に住民がおしゃべりしながらストレスを吐き出しながら被曝実験させる計画がある。国際原子力ロビーと医学界が絡んでね。

末続はいわき市の中でも30キロ圏に入ったところで、市のはずれ。いわき市の大部分は30キロ圏の外で、避難指示が出されていません。無人だった広野町までは短いトンネルがあるだけです。*1いわき市はある程度津波の被害があり、久之浜やその端の末続では、流されて基礎しか残っていない家が散見されます。いわき市全体からみると原発にせよ津波にせよ、そこまで大きな被害を受けていないので、この地域と他のところには大きな感情的落差があります。

そもそも福島のエートスで福島で活動している人は、全員福島県人です。だから、福島にいない人には、最初から出会いません。エートスでは集会所でお話会を行いますが、そもそもその集会所に他人を引っ張ってくることはできないし、気に入られれば人は来る、気に入らなければ来ないだけです。こういうのを決めるのは、地元の人たちです。

*1:広野町によると、2013年8月31日現在 世帯数 1,929世帯 総人口 5,195人 男性 2,590人 女性 2,605人のうち、 2013年8月28日現在 町内居住者数   1,153人 町内居住世帯数  607世帯 なので、3から4分の1程の帰還となっています。

旧ソ連で90年代は何がおこっていたのか。

今までの概観をみても、90年代初頭から始まって90年代にいろいろな急激な社会構造の変化がおきたことは間違いない。


65歳以上人口を見ると、80年代後半からロシア・ベラルーシウクライナでは老齢化が進み、カザフスタンは若年人口が多いものの、老齢化が進行していることが分かる。ここ数年は若干老齢化が遅れていることが分かる。もっともそれでもEUに比べると、まだ老齢化率は低い。



それに対応するように、14歳以下の若年人口は90年代初頭から減って少子化が進んでいることが分かる。少子化が速度を緩めたのはここ数年のこと。



人口一人当たりのGDPを見ると、EUに比べるとはるかに低いが、経済の低迷は1999年で底をうち、その後2000年代は上昇に転じています。ここで、ウクライナ(黄)のGDPの伸びが一番低いことに注目。意外とカザフスタン(緑)の成長が著しい。


また旧ソ連諸国では、70年代から都市化が進み、特にベラルーシ(赤)では、強烈な都市化が進行しています。
この様に全体的には老年化、少子化、都市化(特にベラルーシ)で進行しているのに加えて、1989年にソビエトが崩壊します。


インフレ率。カザフスタンを除き旧ソ連参加国は一時1000%を越える破壊的なインフレが進行しています。一番ひどいウクライナ(黄)では、一年で物価が35倍にもなるインフレを経験しています。この狂乱物価が落ち着いたのは、1996年頃。2000年代には安定しています。


失業率。完全雇用だったソビエト時代に比べて、曲がりなりにも雇用を確保したのは統制国家のベラルーシ(赤)だけで、残りは良くなってきてはいるものの、失業者を回収できていません。

まとめると、都市化、老年化を原因とした都市型、老年型の病気(癌・糖尿病)の増加を基調とし、ソビエト崩壊の破局的な経済の結果がでてきた90年代の失業、インフレと社会の流動化が怒濤のような変化(梅毒・未成年の出産・結核・自動車事故)をおこしたのであって、原子力災害はそれに付け加えられたものであることが分かります。ロシア・ベラルーシウクライナでおこった変化はほとんどそのままカザフスタンでも起きているので、主要な原因がソビエトの崩壊と社会の再構成によるものです。それでも、社会的な統制を維持したベラルーシにおいては、先進ではない技術で予防できる疾患(ポリオ・百日咳・麻疹)はほぼ完全に制御され、小児の健康状態は90年代は横ばいですが、2000年代ははるかに改善されています(5歳児以下死亡率)。

以上、エートス計画の始まった96年からみると、90年代の困難な時代を経て、現在では小児の健康状態は十分に改善されていて、フェルネックスがにおわせているように、小児の健康状態が悪化してそのまま、ということはありません。

国家の管理できる感染症とできない感染症

この統計をみると、統制国家であるベラルーシでは、予防医学的にはちゃんとした対策を行っていることが分かります。

ポリオ、百日咳、麻疹などワクチンの確立しているものは、統制国家なら管理できる。


例えば小児まひをおこすポリオ。これには確立したワクチンがあり、それを接種するとほとんど防ぐことができます。これをみるとカザフスタン(緑)、ロシア(青)では流行があるが、ウクライナ(黄)や特にベラルーシ(赤)ではほとんど発生していない。ベラルーシEU(紫)より優秀です。



その理由は、近年ベラルーシ(赤)ではポリオのワクチンの接種がほぼ完全に行われて、EU(紫)よりも優れているからです。ロシア(青)やカザフスタン(緑)での流行はワクチンの接種が下がった時期に対応しています。



はしか(麻疹)でも、同様の結果が見られ、90年代からはEU(紫)よりベラルーシ(赤)の方が成績が良い。これも予防接種記録をみると、



旧ソ連圏、特にベラルーシ(赤)では非常によい接種成績を示しています。これをみると、ウクライナ、大丈夫かとも思いますね。



次に百日咳でも同じことが言えて、ベラルーシ(赤)やカザフスタン(緑)はEU(紫)より成績が良く、



それは、予防接種の成績にだいたい比例しています。
以上が、国家が統制さえかければ、比較的容易に管理できる病気の例です。このような病気では、チェルノブイリ後でも事態は悪化していません。



A型肝炎のワクチンはないことはないのですが、一般的ではありません。糞口感染が原因だから、下水周りの衛生環境が分かります。下水を管理するのには巨大なインフラを作らないといけないから、ワクチンで対処するほど簡単ではありませんが、90年頃に多かった感染が徐々に減っていることから、全体の衛生環境が徐々に改善していることが分かります。

以上は、ある程度国家が管理できる病気です。

国家が管理できないもの。梅毒、妊娠。

ところが、ワクチンをうって終わりとならない、人間の性行動の場合は、国家で統制するわけにはいきません。だから、驚くべき違いがでてきます。



梅毒の発生率。
1997年頃をきれいなピークとして旧ソ連各国で梅毒が増加し、その後減少します。これは、それまでの性行動を支配していた規範がこの4カ国で同時に変化しているからです。梅毒の感染は不特定多数の性交渉がないとリスクが上がりませんから、そういう状態(性産業)が出現しないとこういうことにはなりません。現代では梅毒はちゃんとした診断さえできれば、そう高価ではない抗生物質で簡単に治療できる病気です。



同じことは、未成年の出産からも分かります。梅毒ほどはピークが鋭くはありませんが、1994年頃をピークとして、増加、そして、ゆっくりと減少しています。

以上、複雑な社会規範に支配されていた性行動が、一度崩壊し、徐々に再編成されているように見えます。もちろん、この時期におこったのは、ソビエトの崩壊と経済の破綻です。

交通事故もソビエト崩壊後増えている。


90年代初頭には年齢調整別交通事故死が増えています。だからこそ、交通事故まで原発事故の影響だとまで言われたわけですね。カザフスタンでも激増しているので、放射能によるものではないのは明らかです。ただし、実際に交通事故が激増したことは事実。

2012年08月17日金曜日
・二つの被ばく地−チェルノブイリと福島
(3)暗中のリスク/低線量の影響、不透明/医師評価分かれる
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1107/20120817_01.htm

チェルノブイリで最も深刻な健康被害は心的影響だった。「91年当時はあらゆる病気、交通事故までが原発事故のせいにされていた」と山下氏は振り返る。その轍(てつ)は踏みたくない。

年齢調整済み死亡率は、チェルノブイリ後悪化して回復したものと、関係ないものがある。

年齢が死亡に関して一番大きな要素なので、年齢調整済み死亡率(SDR)を調べると、大きく分けて、ベラルーシでは、90年代にある程度増えたものと、ほとんど変わらなかったものがあることが分かります。ただし、90年代に死亡率が増えたほとんどの場合は、旧ソ連すべての国で起きた現象で、チェルノブイリの汚染とは関連していません。

癌、糖尿病はチェルノブイリ後ではなく、80年代初頭から増え始め、90年代半ばにピーク。それからゆっくり下がっている。


年齢調整済み全死亡率。これは90年代半ばに増え、2000年代に減り始めています。



年齢調整済み全悪性新生物(癌)死亡率。事故前の80年代初頭から増え始め、90年代半ばにピークを迎え、その後減っています。



年齢調整済み呼吸器系の癌死亡率。これも同じで、80年代初頭から増え始め90年代にピークを迎えてから減っていきます。



年齢調整済み乳がん死亡率。これは、80年代初頭から増え始めているが、90年代で高止まりして、その後減っていません。



年齢調整済み内分泌器官の癌死亡率。放射線によっておこることで有名な(小児)甲状腺がんはこちらに入ります。80年代から増え、90年代にピークを迎えてその後ゆっくり減少しています。甲状腺がんは死亡自体が少ないので、他のがんと比較すると、このピークの中に埋もれています。



ここで、似たような経過を辿っているものに、糖尿病があることに注意して下さい。カザフスタン(緑)が一番変化が大きい。被曝などしなくても、巨大な社会の変化がおきれば、糖尿病患者を量産します。

以上見ると、全体の傾向として、癌は80年代から増加を始め、乳がんの増加など、典型的に都市型の癌が増えている。(日本でも乳がんは都市部に多い。)従って、チェルノブイリ事故直前から比べて癌が増えているのは、事実ではあるけれど、それは事実の一部で、実は80年代初頭から増えていることが分かります。

感染症結核)は、明らかに90年代に悪化している。


年齢調整済み感染症死亡率。
感染症の悪化のパターンは違います。これは、カザフスタン(緑)に特徴的な、明らかなピークが90年代にあり、その他の旧ソ連諸国も漸増している。それでも、ベラルーシ(赤)は死亡が一番低い。



年齢調整済み結核死亡率。
この感染症の増加のざっと8割くらいの原因は結核結核は、開放性の患者からの空気感染だから、患者からの接触が増える、衛生の悪い集団生活や、低栄養、貧困などが誘因となります。また、治療薬はあるものの、長期にわたる服用が必要となるので、資金的または情緒的支援(要するに、薬を飲むように気をつけてくれるひと)が必要となる。もう一つの可能性はHIVをもった人への日和見感染ですが,



HIVの感染率。HIVの感染が増え始めるのは、96年頃からなので、これは結核の原因ではないと思いますが、特にウクライナは危険な状況ですね。