緊急時被曝状況の空間線量20mSv/年は『もっとも厳しい』『安全サイドにたった』基準ではない。避難の危険を政府として認識すべき。

まず、最初に、今回の政府の措置で20mSv/年の空間線量(から計算した仮想的実効線量)で20mSv/年の参考レベルを設定し、それ以上のところは避難することにした政策を『最も厳しい』『安全サイド』にたった政策であると政府の担当者が述べられていましたが、それは、『被曝以外のリスクを無視した場合』のみになりたつ理屈で、現に避難により原発事故の関連死が出ている以上(東京新聞の記事)、全くなりたたない理屈です。

2年半経ってしまった今となっては、事故直後の判断は仕方がないところがありますが、その後判断せず放置し続けていることには責任があります。政府としてALARAを『社会経済的条件を考慮して合理的に可能な限り被曝を低減する』と理解しているのだから、社会経済的条件を無視して設定した20mSv/年の危険性を再認識することが必要です。仮設住宅に押込められて、体調を崩してなくなる方がでているようでは、考慮しなければならない『社会経済的条件』のうちの大事なものを見落としています。今でも、人は毎年死んでいます。いわゆる『安全サイド』、実際には危険な基準にこだわることで、現実に困る人を見捨てないようにお願いしたい。

避難解除を空間線量で決めてはいけない。実効線量で決めるべき。

これは、森口先生が指摘されていたことでもありますが、空間線量での値と個人の実効線量の値は大きく違い、実際には3分の1程度になります(遮蔽状況で個人により違う)。

ICRP111は年単位の実効線量で個人の被曝を管理するように求めており、参考レベルも年単位の追加被曝の実効線量で設定するように求めています。従って、避難の解除(ICRP111の用語で言えば正当化)も、個人の実効線量で決めるべきです。

ICRP111
(45) The Commission recommends that reference levels, set in terms of individual annual effective residual dose (mSv/year), should be used in conjunction with the planning and implementation of the optimisation process for exposures in existing exposure situations.

再度強調しておきたいこと。ICRP111のいう参考レベルは、『これを越えてはいけない値』ではなく、『必ず越える人がでるように設定しないといけない』。

これは、何度言っても分かってくれない人がいますが、ICRP111で述べられている参考レベルは、優先的に手当する人を選別するための指標です。だから、必ず越える人がいるように設定しないといけない。越える人がいないような参考レベルには意味がありません。
現在、福島で人の住んでいるところでは、それこそICRP111が長期目標と言っている年1mSvでも設定できます。追加被曝で年1mSvを越えている人は極わずか。避難解除準備区域でも、ちゃんとICRP111の文言通り、年10mSv以下で設定できるところが過半だと思います。この理由は、空間線量からの推定に使っている係数0.6が過大で、実際には0.3程度だからです。(福島民報の中西さんの記事

また、政府は長期的に参考レベルを年1mSvに設定すると言っていますが、国も、どの自治体も現存被曝状況の参考レベルを公言したことはありません。

参考レベルは、国全体、福島全体や、自治体単位でも共通である必要はない。参考レベルは『手当』の基準だから、実際に『手当』する単位で設定するべきもの。

今回の事故での汚染状況は、自治体はおろか、集落単位でも異なる場合があります。その場合の参考レベルの設定は、現実的に改善策を担当する単位で設定しないと、単に『数字を言ってみただけ』に終わります。従って、自治体やもっと細かい集落の単位で設定して全く問題ない。逆に、参考レベルを越えた人の一人ずつに対応できない大きさで決めると、現実的な意義がなくなります。
今回、政府の説明では『国が』と言っていて、ICRP111でも『国が設定することができる』と書いてありますが、参照レベルの実際の使い道を考えると、それを越えている人がいるところで、具体的に対応できることが必要です。

データは統一的に収集できる枠組みをつくるべきであるが、『判断』は共有されなくてもよい。

全体の状況を判断するためにデータを共有することは意味がありますが、(帰還するか、移住するかなどの)個々の『判断』を共有する必要はありません。原理的に言えば、個人や家族単位で違ってもおかしくありません。その理由は、被曝するかしないかの判断(正当化)は、リスクの大きさを被曝の回避行動の負担で測っているからです。この負担の判断は個人的なものだから、線量だけでは決まりません。移住することで失うものが少ない人は、移住を選ぶだろうし、逆にどうしても住み続けたい人もいる。

ただし、現実的にインフラの支援がなく生活できる人は少ないので、集落単位で判断するのも一つのやり方だと思います。

不安の解消を目的としてはいけない。不安の解消は結果。

今回の政府の説明を聞いていて非常に違和感があったのは、政府が安心安全を目指すと言っていることです。正直に言って、政府は信用されておりません。丹羽先生と森口先生も指摘されていましたが、『安全安心チーム』という名称からして不遜です。

ICRP111のもととなった、ベラルーシエートス計画では、生活状況の改善、rehabilitation of living conditions と言っています。放射能『だけ』を減らしても、生活状況は改善しない。被曝の低減は生活状況を改善するための手段であるという考え方が基になっています。

核事故の場合、政府が信用されないのは当然です。ベラルーシの場合でも、政府に対する不信は強かった。ベラルーシエートス計画は、事故後10年で赤の他人のフランス人が始めて、さらに10年経過して仕組みが定着した後にベラルーシ政府(非常事態省チェルノブイリ部)が引き継いでいますが、直後にはとても無理。最初から信用されないのが現実であることを前提に行動して下さい。

どのくらいで達成できるのか、将来の見通しを示すべき。

政府の説明では、状況の回復に『何十年』など雲をつかむような話をしていましたが、10年後、20年後の汚染地図を示して、どのくらいで達成するのかを理解してもらえるようにすべきです。いわゆる『安心マップ』『リアルタイムモニタリング』と一見似ていますが、リアルタイムであるより、長期的将来どうなるかが大事です。

これは、丹羽先生の意見がもっともで、年単位の『避難』は長過ぎる。将来計画が分かっていれば生活設計ができるが『必ず帰還させるが、その時期は分からない』などと言われたのでは、生活設計が成り立たない。特に、原発所在地である双葉町大熊町に関して、5・6号機の廃炉指示が出された今日では、原発経済が成り立たないことは明らかなのだから、明確な時期を示すか、移住することを前提に支援すべきだと思います。同様なことは、福島第二原発の命運にも言えます。こういう巨大経済があるのかないのかで、そこの地域での職も経済的立場も全然変わってくるから、生活設計のためにはどうするのか答えを出す必要があります。

大人と子供・妊婦などの基準を分けるべきではない。

これも、丹羽先生の意見が正しく、子供は大人がいないと守れないものだから、数値で家族を分断するようなことはせず、子供や妊婦には、例えば、子供のいるところの除染を優先するなど、各論で対応すべきで、数値を分けるべきではありません。

帰還準備地域に帰る希望者に個人線量計を配布するのなら、必ず手当をできるようにするべき。

実効線量は実測すれば分かるのだから、電子積算線量計を用いて二週間程度帰ってみると通常の行動でどのくらい被曝するかが分かります。ただし、この『希望者に配布』は危ない。被曝線量は『数字』ですが、それを判断するための『ものさし』が必要です。だから、必ずその『数字』の意味が自分の生活に引き落として理解できるような仕組みが必要です。だから、線量計を配布するからには、説明する人間がいる。そして、こういう手当が、信用や信頼の最初のきっかけになります。『希望者に配布』して終わり、では信用を回復する重要なチャンスを捨ててしまうことになります。


(今回の会議ではでていなかったもの)

線量計の他には、食品測定器と、WBCの仕組みが必要になる。

積算線量計よりもう少し高価なものとして、食品測定器があります。これは個人で買うには高額なので、資金の援助が必要です。集会所単位程度にあって、手軽に測定できることが必要です。ただし、測定には誰かの指導が必要なので、積算線量計の配布と同じく、必ず人を配置すること。食品測定器は、汚染度の高い食品を排除して被曝から住民を守るものです。
また、被曝の『検算』をするためには、WBCを使って全身の内部被曝を測定する仕組みが必要です。WBCは個人で買えるものではないので、どこかの病院と連携することになります。また、これにも積算線量計の話と同じく、人を配置することで始めて意味のあるものになります。

こういう放射線防護の仕組みは、被曝から住民を守ると同時に、政府の側から見れば、測定機器を道具として信頼をかちとるのが目的です。信頼されなければ、数字だけを出しても全く何もなりません。

担当者を二年で総入れ替えしてはいけない。

今の政府の仕組みでは、2年ごとに配置換えをしていますから、担当者が入れ替わります。そうすると、それまでの信頼関係が使えなくなります。放射能のリスクの説明が信用されるのは属人的な要素が大きいのだから、せめて一年ごとずらすなど、かならず継続して同じ人が関与できる仕組みが必要です。これも、上の線量計の話と全く同じ、属人的に信頼を構築するのが目的だからです。

安心安全は『リスクコミュニケーション』で伝えるものではない。

放射能は五感で感じることができないので、何らかの道具を使って測定しなければなりません。だから、線量計、食品測定器、WBCを使って地道にデータを住民に渡す事が必要です。しかし、その数字だけでは意味がなく、どのように行動すればリスクを下げる事ができるのかを、伝えることが必要です。迂遠なようですが、データで着実に信頼関係を構築することが正しい方法です。安心や安全の方は住民が自分で判断してくれます。