もう一つのドイツ原発で癌が多いという論文を検証してみる。

ECRR2010で低度被曝の放射線リスクがICRPの言っている数字より1000倍くらい大きいと主張している話は、『私がECRRを狂気の集団だというわけ』のところで書きました。そこで根拠として、Kaatsch, 2008とともに挙げてあったのが、Spix, Eur J Cancer 44: 275, 2008という論文です。前に書いた、Kaatsch, 2008の論文と同じKiKKのグループで、Kaatschも共著者となっています。表題は、Case-control study on childhood cancer in the vicinity of nuclear power plants in Germany(=ドイツの原発近傍での小児がんのケースコントロール研究)。その要旨には、以下のようにあります。

Results show an increased risk for childhood cancer under five years when living near nuclear power plants in Germany. The inner 5-km zone shows an increased risk (odds ratio 1.47; lower one-sided 95% confidence limit 1.16). The effect was largely restricted to leukaemia.
結果からは、ドイツ原発のそばに住んでいると5歳以下の小児癌のリスクが増えることが分かる。半径5キロ内では、リスクが増える(オッズ比が1.47で、95%信頼区間の下側が1.16)。その効果は主に白血病に限定されている。

1980年から1990年の患者集団を入れないと、がん患者が増えているという結果にならない。

表5。これまでのドイツの研究の要約。

左側の拡大。

右側の拡大。

 ここで表5をみると、これまでのドイツの疫学調査での結果は有意差なしとありの二つのパターンがあることが分かります。この結果をみると、有意差があると結論を出しているのが、3つ、ないのが5つ。ところが、この有意差があると結論づけている3つとも1980−1990年の間の患者集団が入っています。そして、これらの研究で使っている患者の集団は独立ではなく、重なっています。このことは、このSpixの論文での調査期間がだいたい1980年から2003年であり、前半部分にしか有意差が認められない事と一致しています。この論文のデータからしても、がん患者が増えているという結論は後半の期間(だいたい1990−2000年)にはあてはまっていない。
 以上をまとめると、1980−1990年に発生した(おそらく白血病の)患者集団を入れた時にだけ、このような結果になるのではないか、という判断が妥当だと思います。

Spixの論文は放射線被曝ががんが増えている原因であるとは言っていない。

実際にこの論文の結論では、

In Germany 1980–2003 we see an increased risk for cancer in children under 5 years of age, particularly leukaemia, when living in proximity (<5 km) to a nuclear power station. This observation is not consistent with most international studies, unexpected given the observed levels of radiation, and remains unexplained. We cannot exclude the possibility that this effect is the result of uncontrolled confounding or pure chance.
1980年から2003年のドイツでは、原発の近傍(5キロ以内)に住んでいると、5歳以下の小児がん、特に白血病のリスクが増える事を見いだした。この事例は多くの国際的研究とは符合せず、実測できる放射線からして、意外なものであるし、説明はつかない。この効果が、制御できていない交絡因子や、単なる偶然の結果による可能性を排除できない。

となっています。Kaatsch, 2008の論文と似たような結論ですが、この結論なら別にそんなにおかしくはない。
 私が査読した場合なら、(1)ドイツの原発一般に言える事なのか、個々の原発でのリスクを調べよ、(2)KiKKは小児がんの95%の住所のデータを持っているのだから、原発のそば以外で患者集団が発生しているのかいないのか分かる筈なので、こういう患者集団は原発のそば特異的に起きている事なのか示せ(3)癌のリスクがあがると結論づけているが、それは80年代の話。90年代ではそうなっていないのだから、それを反映した結論にせよ、という3つの要求を出すでしょう。それが出なければ認めない。
 (1)については、KiKKの方は、一つずつ原発を外しても同じ結論になった、とKaatschの論文と同じ予防線を張っています。しかし、16ある原発のうちの2つでこういうことがおきていれば、残り14の原発では全く影響がなくても同じ結論になりますから、このKiKKのグループの研究は私は満足できるものとは思えません。少なくともクルーメル原発では白血病患者集団がいることは確認されているから、クルーメル原発と何か他の物を除くべきものです。

この論文は前のKaatschの論文と手法データは同じ物


上の図1に載っている地図が研究対象となった原発です。小児白血病患者集団がいることが分かっているクルーメル原発に印をつけておきました。

この研究の方法は、前に書いたKaatsch、2008の時と、全く同じです。というよりも、実は、同じデータセットを使っていて、そのうちの白血病の部分だけをKaatsch, 2008に書いたという方が正しい。前に書いたように、5歳以下のがん患者に対して、ランダムに対照の患者でない人を選び出して、どのくらいの人が原発からどのくらいの距離に住んでいるのかを調べています。原発からの距離にリスクが反比例するという再帰関数をモデルとして、係数を求めるという手法も同じです。

『癌が増える』のは小児白血病の患者集団をまぜたから。


それで、表3に載っている結果をみると、全癌では、距離に従って癌が増えるというモデルで有意差があるが、その癌の分類をみると、実は白血病でしか有意でない。小児白血病以外の癌患者は有意ではないし、そもそも中枢神経の腫瘍は原発のそばに寄ると減っている(減っているのが有意かどうかはこのデータでは分からない)。おまけに、原発の運転期間の前半と後半に分けると、有意なのは前半だけで、後半は有意ではない。
 以上をまとめると、この全ての有意差の源泉は、原発運転期間の前半のそれも、小児白血病にのみによります。

計算モデルを変えても、有意差が小児白血病に由来することは同じ。

表4。

左半分の拡大。

右半分の拡大。

 この状況は、計算モデルを変えた場合でも同じ。結局、小児白血病のみ差があります。以前にKaatsch, 2008の所でも書いたように、この小児白血病が有意になる理由は、いくつかの小児白血病の集団があって、その30数人の患者が原発のそばに住んでいるから。小児がん原発の近傍に多いといっているが、これは、患者に対応する対照の子供を探すというケースコントロール研究だから、この5キロ以内のところで、この少人数の小児白血病の患者集団がいることで差が出てしまえば、あとは全てにおいて全く同じ癌の発生頻度であっても同じ結論になることになる。

この論文の2つの特徴は、『原発からの距離』との関係であること、『因果関係』ではないこと。

 前述の、80年代では有意になることが90年代では有意になっていない、という問題のほかに、Kaatsch, 2008の論文と同じく、この論文には大きな字で『ただし』と書いておかなければならないことがあります。
 もともと、このKiKKの二つの論文で本当に言いたかった本音は、
 『原発からの放射能』が原因で『癌』が増える
ということです。ICRPのLNTを持ち出したり、再帰曲線を原発からの距離に反比例するようにしたりしたのは、この書いていない本音に基づいています。ところが、通常運転の原発からでる放射能は実測するには低過ぎる。計算してみると、自然放射線の1/1000くらいだろう。

そこで、KiKKのグループが行った独創的なことは、
 患者の住所と原発の煙突からの距離を測ること
でした。つまり、もごもごと口ごもりながら使っている仮定は
 『原発からの放射能』は『原発の煙突からの距離』で代表できる
ということです。放射能被曝が実測されていない以上、この根拠はなんら示されていません。そういうことにしたい、ということです。だから、表立っては論文に『原発からの放射能が危険因子』とは書いていません。書ける訳がありません。論文では、
 『原発の煙突からの距離』と『癌の患者』が相関する、
という主張をしています。
 だから、ECRRのいうように『被曝と白血病の関係』を述べたものではありません。こっちは書いていない本音の方です。

 もう一つ大事な事は、『原発からの距離』と白血病の関係は、相関であって、因果関係ではないことです。原発の近傍以外でこのような白血病患者集団が存在しない(もしくはする)ということで相関関係を補強することはできます*1。因果関係を示すためには、別の研究が必要です。例えば、原発を作ったら白血病が増え、なくしたら減ることが必要になります。
 『相関』は『因果関係』ではないから、『危険因子=リスクファクター』と呼ぶわけです。これは、因果関係を示さずに、因果関係を匂わせる作文上の方法です。査読をする人は、当然、こういうケースコントロール研究では因果関係を示せないと言ってくるから、本音と建前の妥協点が、『危険因子』になります。

もう一つ、この論文では
 個人個人の癌の発生は(病気本来の性質として)独立であって、一様におきる
ということがアプリオリに仮定されています。実はこの仮定は全ての場合に正しいとは言えません。例えば、今話題の食中毒ですが、これは汚染経路に従って患者が発生し、一様には発生しません。同様に、小児白血病感染症や免疫疾患によって起こっているなら、クラスタを作ってもおかしくありません。これは何も突飛な話ではなく、実際、西日本に多い成人T細胞白血病HTLV-1というウイルスが原因で輸血、性交、授乳により感染します。この手の考え方をすれば、キンレン等が言うように、白血病は人口移動が激しいところでおこる感染症か免疫反応ではないのか?という意見もありえます。

*1:これが私なら査読意見としてつけると言ったものの2番目のもの

ECRRは論文著者が言っていない事を言った事にしている。

ECRRが言っていたことを再掲すると、

ECRR 2010 p130
Recently, a study of childhood cancer and leukemia by distance from all the nuclear sites in Germany from 1984 to 2004 unequivocally demonstrated the effect; in children aged 0-4 the risk was more than doubled. The authors of the study argue that the ICRP risk model has to be in error by at least 1000-fold to explain this finding (Kaatsch et al 2007, Spix et al 2008).

最近、1984年から2004年の間の、小児がんと小児白血病とドイツの全原発からの距離の研究で、疑いの余地なく、0−4歳時のリスクが二倍以上に増えたことが示された。研究論文の著者達はこの発見を説明するためには、ICRPのリスクモデルは少なくとも1000倍間違っていると論じている(カーチ 2007、スピックス 2008)。

ですが、Spixたちは、論文で放射能被曝と癌の結果については、以下のように述べています。

German nuclear energy providers are required to maintain the exposure of the population below 0.3 mSv/year.24 Compared to this, the annual background radiation exposure estimated for the German population is 1.4mSv/year. The average annual dose of persons of any age from medical procedures is 1.8 mSv, though this is lower for children (no specific figures given).25 The actual emissions from nuclear power plants are far lower; e.g. for a 50-year-old person in 1991 living 5 km from one of the German nuclear power stations included in the study, the expected cumulative exposure to atmospheric discharges would have ranged from 0.0000019 mSv (Obrigheim) to 0.0003200 mSv (Gundremmingen).26 At these levels of radiation, no detectable effects are expected from the usual models.12,13
ドイツの原発事業者は公衆の被曝を0.3mSv/年以下にすることが義務づけられている(文献24)。これと比較して、ドイツでの年間推定自然被曝は1.4mSv/年である。全年齢にわたる医療被曝の年平均は1.8mSvである(小児は被曝は低いが数字自体は載っていない)(文献25)。原発からの実際の放射能排出はもっと少なく、例えば1991年に50歳の人が、この研究に含まれているドイツの原発から5キロの所に住んでいると、大気排出物からの推定積算被曝は0.0000019mSv(オブリガイム原発)から0.0003200mSv(ガンドレミンゲン原発)になる(文献26)。このレベルの放射線では、通常のモデルでは影響が認められるとは考えられない(文献12、13)

従って、ICRPが1000倍おかしいなどと、どこにも書いてありません。

ECRRの主張する被曝によるがん患者の増加は過激な誇張

こういう論文から、ECRRへ至る論理はどうなっているのか、というと、

(1)ドイツの原発原発近傍でいくつかの小児白血病の患者集団がある。(これが最初の事実)

個別の患者集団を*原発すべて*に一般化して、
(2)従って、『原発近傍に住むことは小児白血病の危険因子』(Kaatsch, 2008) (ただ、差があるのは原発5キロの近傍だけで、最初の事実と変わっていない)

さらに、この小児白血病の患者集団を小児癌一般とまぜあわせると、
(3)『原発近傍に住むことは小児癌の危険因子』(Spix, 2008)(でもよく読むと、小児白血病のみしか当てはまらないから、最初の事実と変わっていない)

ここまでは、原発の煙突からの距離の話でしたが、ここで放射線被曝の話がでてきます。
 原発近傍で、原発による放射線被曝は自然放射線被曝のざっと1/1000(これは事実)

ここで、論文の筆者たちが言っていないことで、ECRRが付け加えたことは、
(4)『だから、ICRPのモデルは被曝を1000倍過小評価していると論文の筆者が言っている。』
この『だから』というのは本当は笑うところです。『放射能被曝が自然放射線の1/1000だからこの結果は説明できない』というのを、『放射能被曝の効果が実は1000倍なのだ』と結論づけているわけです。こういう風に『根拠のない数字』を勝手に付け加えて良いなら、どういう結論でも作る事ができます。

昔読んだ落語に、動物の爪が割れていると足が速くなる、と主張する人の話があります。『馬の爪は割れていないが、牛より足は速いじゃねえか』というと『そりゃあ、おまえさん、馬の爪が割れていれば、本当は目にも留まらぬ速さで走るってえことよ。割れてないから、あの位ですんでんだ。』こういう人は無敵です。ただ、牛より馬の足が速い事実は変わりませんから、事実とは関係のない話をしているというだけのことです。普通の日本語ではこういうのを『笑い話』とか、『妄想』と呼びます。この『だから』が、納得できる、理解できるという人は、科学で何かを理解することは止めた方が良いと思う*1

 以上が、ECRRが、30人程度の小児白血病の患者集団から始まって、*すべての被曝に関して*過激な誇張をした道筋です。

*1:KiKKのグループの名誉のために言っておきますが、彼らは(4)の主張はしてません。言っているのは狂気の集団であるECRR